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船岡山
,ページの作成:「'''船岡山'''(ふなおかやま)は、 ;(1) 霊界物語に登場する山。丹波の国の河守(こうもり)附近にある。 :[使用例]「紫...」
'''船岡山'''(ふなおかやま)は、
;(1) [[霊界物語]]に登場する山。丹波の国の河守(こうもり)附近にある。
:[使用例]「紫姫の一行は 厳の霊や瑞霊 神の恵を河守駅や やすやす渉る'''船岡の 深山'''を左手に眺めつつ」〔{{rm|18|5}}〕、「心も細き谷道を 伝ひ伝ひて河守の 里を左手に打ち眺め '''船岡山'''を右に見て」〔{{rm|18|6}}〕
:河守は現在の福知山市大江町河守である。
:現実の山としては、豊受大神社(元伊勢外宮)が鎮座する船岡山(福知山市大江町天田内)だと思われる。
;(2) [[天恩郷]]の[[月照山]]の別名。
:「船の形をしとるからそれで船岡山というのや。船岡山は救世の船だ」〔[[新月の光]]1246「船岡山の命名(月照山)」〕
;(3) 京都市北区にある船岡山。
:王仁三郎が奉職していた[[建勲神社]]が鎮座している。
:「建勲神社は織田信長を祀り、京都市北区の大徳寺の南、船岡山にある。船岡山は京都の北西、赤松が一面に生えた標高百十二メートルの見るからにおとなしい小山」〔[[大地の母]]第9巻{{obc|「幣帛供進使」|B138909c04}}〕
王仁三郎の父・[[上田吉松]](旧名・佐野梅吉)の出生地である船井郡川辺村字船岡(現・南丹市園部町船岡)にも「船岡山」があるが、霊界物語等王仁三郎の著述には特に出て来ない。
== 外部リンク ==
* <wp>河守駅</wp> - 北丹鉄道の駅で、大正12年(1923年)9月に開業した。現在は廃駅。100mほど東側に京都丹後鉄道宮福線の大江駅がある。
* <wp>豊受大神社</wp>
* [http://www.genbu.net/data/tango/geku_title.htm 豊受大神社] - 玄松子の記憶 - 由緒内に「元伊勢内宮皇大神社に奉斉する皇祖天照大御神は(略)大和国笠縫邑より当地(大江町字内宮)に遷幸されたのであるが、此の時同時に豊受大神を当'''船岡山'''に合せ祀られたのが当社の創祀」と記載されている。
* <wp>船岡山</wp> - 京都市北区。
[[Category:霊界物語の山|ふなおかやま]]
;(1) [[霊界物語]]に登場する山。丹波の国の河守(こうもり)附近にある。
:[使用例]「紫姫の一行は 厳の霊や瑞霊 神の恵を河守駅や やすやす渉る'''船岡の 深山'''を左手に眺めつつ」〔{{rm|18|5}}〕、「心も細き谷道を 伝ひ伝ひて河守の 里を左手に打ち眺め '''船岡山'''を右に見て」〔{{rm|18|6}}〕
:河守は現在の福知山市大江町河守である。
:現実の山としては、豊受大神社(元伊勢外宮)が鎮座する船岡山(福知山市大江町天田内)だと思われる。
;(2) [[天恩郷]]の[[月照山]]の別名。
:「船の形をしとるからそれで船岡山というのや。船岡山は救世の船だ」〔[[新月の光]]1246「船岡山の命名(月照山)」〕
;(3) 京都市北区にある船岡山。
:王仁三郎が奉職していた[[建勲神社]]が鎮座している。
:「建勲神社は織田信長を祀り、京都市北区の大徳寺の南、船岡山にある。船岡山は京都の北西、赤松が一面に生えた標高百十二メートルの見るからにおとなしい小山」〔[[大地の母]]第9巻{{obc|「幣帛供進使」|B138909c04}}〕
王仁三郎の父・[[上田吉松]](旧名・佐野梅吉)の出生地である船井郡川辺村字船岡(現・南丹市園部町船岡)にも「船岡山」があるが、霊界物語等王仁三郎の著述には特に出て来ない。
== 外部リンク ==
* <wp>河守駅</wp> - 北丹鉄道の駅で、大正12年(1923年)9月に開業した。現在は廃駅。100mほど東側に京都丹後鉄道宮福線の大江駅がある。
* <wp>豊受大神社</wp>
* [http://www.genbu.net/data/tango/geku_title.htm 豊受大神社] - 玄松子の記憶 - 由緒内に「元伊勢内宮皇大神社に奉斉する皇祖天照大御神は(略)大和国笠縫邑より当地(大江町字内宮)に遷幸されたのであるが、此の時同時に豊受大神を当'''船岡山'''に合せ祀られたのが当社の創祀」と記載されている。
* <wp>船岡山</wp> - 京都市北区。
[[Category:霊界物語の山|ふなおかやま]]