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→再建状況
== 再建状況 ==
【昭和49年(1974年)時点での再建状況】王仁三郎の歌碑は[[第二次大本事件]]によってほとんど破砕されてしまった。喜界島の[[神声歌碑]]、[[九州別院歌碑]]、[[新居浜歌碑]]、[[南海分院歌碑]]は破砕は免れ、削り取られた碑面に文字を彫り直して再建された。有田の[[五六七歌碑]]は文字を削られた傷跡をそのまま残して再建された。神刕別院の[[白雲歌碑]]は三つに割られたものを継いで再建された。大分の[[神聖歌碑]](国東歌碑)だけはほとんど無傷のまま、一時、田圃の中に隠して埋められていたもが、再建された。その他に、新たに造り直して再建されたものが14基。戦後新しく建立されたものが6基。17基が未だ再建されていない。〔『(国東歌碑)だけはほとんど無傷のまま、一時、田圃の中に隠して埋められていたものが、再建された。その他に、新たに造り直して再建されたものが14基。戦後新しく建立されたものが6基。17基が未だ再建されていない。〔『[[おほもと]]』昭和49年(1974年)7月号、86頁~、[[窪田英治]]「国東歌碑と宇佐神宮」87頁(木庭「~歌碑集録」を元にしているようである)〕
== 参考文献 ==