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王仁三郎は御神体山に国常立尊が鎮座しているということを知っていたようである。大正15年(1926年)6月17日、王仁三郎が出雲神社に参拝した時の歌日記王仁三郎は御神体山に国常立尊が鎮座しているということを知っていた。大正15年(1926年)6月17日、王仁三郎が出雲神社に参拝した時の歌日記<ref>『[[真如の光]]』大正15年(1926年)6月25日号、24頁</ref>に〈仰ぎ見るさへも畏き御影山《みかげやま》は国常立の神の隠れ処《が》〉と歌われている。
出雲大神宮
,→国常立尊
御神体山には国常立尊が鎮座するということが一般に知られるようになったのは、戦後のことのようである。戦前の資料にそのことに触れているものは見つからない。
出雲大神宮のパンフレット<ref>2010年頃に入手したもの。</ref>に、〈富士古文書(宮下文書)では、首座は国常立命の神霊をお祀りし、両側の二座に大国主命、三穂津姫命が鎮座しているという内容の記述もある〉と記されている。<ref>三輪義凞『神皇記』(宮下文書のダイジェスト版)34~35頁に、国常立尊(天之御中世の第15代高皇産霊神の第五子)は「田場国」(丹波国)の「田羽山の陵」に葬られたと記されている。</ref>