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たまほこのひ可里
,→経綸書
その経綸書そのものは昭和11年に当局の圧力によって焼却してしまったが、『たまほこのひ可里』に断片的にその内容が記されている。それを抜き出してみる(佐藤が記憶を頼りに口述したものなので、その文面通りに経綸書に書いてあったかどうは分からない)。(底本では送り仮名は片仮名だが平仮名に直した。一部の漢字は読みやすいように平仮名に直した)
* 〈皇紀二千六百年となれば、米国は我が神国の国旗日の丸と三種の神宝を奪ふ仕組をして居るから、将来必らず攻めて来る、いよいよ攻め寄する際には、最初に伊勢の神鏡を奪ひ、次に熱田の神剣を襲ひ、最後に神璽即ち玉座を窺ふ計画であるから、朕が薨じたら、我神霊を伊勢と熱田の中間なる尾州武豊の地に斎き祀れよ。朕は武豊の地に鎮座して皇国を守護せむ〉 * 〈この事に反対致す者はみな国賊であるから日本の御土の上に置くことはならぬ〉 * 〈天の立替ならびにノアの洪水から昭和十二年で一万二千年になる、この年から世界の大立替、大峠が始まる〉 * 〈天津日嗣天皇様の八紘一宇の鴻業は、皇紀二千六百三十六年<ref>皇紀2636年=1976年=昭和51年</ref>に百六歳の男の活躍によって成就する。その男は拇印に⦿《ス》の紋を有す』 * 〈皇紀二千五百六十一年<ref>皇紀2561年=1901年=明治34年</ref>当時の天皇様は神武天皇様の御再誕であらせられ、神八井耳命《かむやゐみみのみこと》様は皇太子様<ref>皇紀2600年=昭和15年当時の皇太子は明仁親王=平成天皇=現上皇。正仁親王はその弟。</ref>と御再誕遊ばし、朕は六歳の男児となって再誕する、また朕が二千六百三年<ref>昭和18年</ref>に九歳になった秋に一か八かをわける〉 * 〈神武天皇様が神様から八個の井戸を戴かれて八紘一宇の大宣言を遊ばした其の地は橿原である。そして皇子《みこ》に神八井耳命《かむやゐみみのみこと》と御命名遊ばしたのは是れに由来するのである。生命の源は水であり、従って井戸である、八紘一宇の鴻業は八個の井戸の所在地で無くては成就なし能はず〉
やはり佐藤が口述し西田が記録した「[[霊石の奇蹟]]」にも、御宸筆の断片が記されている。
* 〈紀元二千六百年(辰年)となれば本山《もとやま》に神光《ひかり》が出る、この神光《ひかり》は永遠に消ゆることなく光りと倶に皇国は万々歳で天壌無窮である〉
これらの経綸書のもととなる文字が切紙神示の9枚の紙片によって作ることが出来るのか、出口恒著『[[誰も知らなかった日本史]]』の中で検証されている。