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天の御三体の大神

1 バイト除去, 2024年5月23日 (木)
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* 初出:{{rm|1|18|霊界の情勢}}(御三体の大神)、{{rm|3|41|二神の帰城}}(天の三柱の大神)、{{rm09|1|0003|発端}}(天の大神)
* 天の大神は君系であり、[[国祖]]・[[国常立尊]]([[地の大神]])は臣系であって、組織上は天の大神が国常立尊より上位にある。しかし元来は国常立尊が祖神であり、天の大神は国常立尊の子孫である。<ref>{{rm|1|22|国祖御隠退の御因縁}}:「さて天の御三体の大神様は、国常立尊は臣系となつてゐらるるが、元来は大国常立尊は元の祖神であらせたまひ、御三体の大神様といへども、元来は国常立尊の生みたまうた御関係が坐します故」</ref>
* [[本宮山]]の山頂に建設された[[本宮山神殿]]<ref>[[第一次大本事件]]直後に破却された。</ref>や[[長生殿]]<ref>基礎工事だけで完成せずに[[第二次大本事件]]によって破却された。</ref>は、天の大神を祭るための神殿である。<ref>『[[神の国 (1921)|]]』大正10年(1921年)9月号、51頁、「七夕祭に際して」(8月10日の五六七殿における出口王仁三郎の講演筆録):此度、本宮山に御神殿が出来上つたのも、神界の高天原に国常立命様が御三体の大神様の御神殿を御建築になり、先づ神様から敬神の手本を我々にお示しになつたのであります。それで本宮山の御神殿は、国常立尊様のお建てになつたもので、決して我々人間の建てる可きものではないのでありまして、我々人間として国常立尊様の御手伝をさせて戴いたので或る時期が来ましたら吾々信者は神様に習つて国常立尊様のお宮を建立さして戴くのが順序であります。</ref> <ref>『[[真如の光]]』昭和10年(1935年)8月17日・25日合併号、12頁、8月10日のみろく殿における昭和青年会・昭和坤生会総会における総裁(出口王仁三郎)訓示:(略)この皇道大本に肝心のもう一つ遅れて居る事があるのであります。これは何かと云へば祭政一致である、皇道を天下に宣布発揚せんとせば、どうしても大神様の神霊の奉安所を建てて、神様に奉る必要が迫つて居るのであります。この祭政一致の精神によつて、大正九年から十年にかけて、鶴山山上に荘厳なる神殿を拵へましたが御存じの様な次第で、あれは壊されて了つたのであります。けれどもその後信徒諸氏の信仰心は益々強烈になつて来たのであります。さうしてどうしても壊されたる宮の跡に於いて慨《なげ》く事を止めて、再び再建する曙光に向つたのであります。故に本年の十月廿七日の記念日(注・大正10年10月27日の本宮山神殿取毀完了)に斧始式を執行したいと思ひます。そして先づ天地の大神様を奉斎し、それからこの皇道を中外に向つて宣揚したいと思ひます。</ref>
== 主なエピソード ==

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