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大地の母

307 バイト追加, 2024年4月10日 (水)
出版の経緯
=== 出版の経緯 ===
昭和38年(1963年)9月、[[出口和明]]は「野上竜」というペンネームで書いた小説「兇徒」で「第二回オール読物推理小説新人賞」を受賞した。和明は長い間、大本教団の活動から離れていたが、祖父・[[王仁三郎]]のために何か貢献したいと思い、小説を書く能力を活かして王仁三郎を小説にして発表してみようと考えた。しかし大本のことをよく知らなかったので勉強するため、昭和43年(1968年)3月7日に大本本部を訪ねた。すると『[[おほもと]]』編集者の[[窪田英治]]と出会い、偶然にもちょうど二代教主([[出口澄子]])の伝記を和明に書いてもらいたいと告げられた。こうして出口澄子を主人公にした「大地の母 ─すみと王仁三郎─」<ref>当初は「すみと王仁三郎」というサブタイトルが付けられていた。</ref>が『[[おほもと]]』昭和43年(1968年)6月号から連載され始めた。数回連載したところで[[毎日新聞社]]から出版の話が来て、単行本として刊行することになった。から出版の話が来て<ref>『おほもと』昭和43年(1968年)11月号123頁、「聖都通信」10月3日の項に、毎日新聞の東京本社編集局次長の見谷博が名古屋の出口和明宅を訪ねて「大地の母」を出版したいということで話し合われた旨が報じられている。</ref>、単行本として刊行することになった。<ref>『[[第三次大本事件の真相]]』p170-172</ref>
当初は、信徒から「大地の母」と慕われた二代教主・[[出口澄子]]を中心にしてその昇天までを描く予定で書き始め、題名もその呼び名から取った。しかし全12巻では収まりきれず、出口直の出生から昇天までの全生涯と、王仁三郎の前半生、また大本の開教から第一次大本事件前夜までの歴史だけで終わった。<ref>新評論版『出口王仁三郎』「序文」</ref>

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