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佐藤尊勇
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'''佐藤尊勇'''(さとう たかお)は、大本信徒。幹部職員。本名・佐藤忠三郎。
明治24年(1891年)春、京都市内の材木商の家に生まれる。
明治44年(1911年)8月、次兄が大本に入信。本人は初めは信仰が無かったが、大正3年(1914年)2月に次兄が病死し、その後、自分も病気で倒れたことをきっかけに信仰するようになり、綾部で奉仕する。
[[第一次大本事件]]当時は、青年隊副長。
[[第二次大本事件]]では検挙を免れ、弁護事務や財産整理を手伝った。
昭和47年(1972年)祭務部長を最期に奉仕者を辞職。
昭和50年(1975年)1月、帰幽。享年84歳。
== 参考文献 ==
* 『[[大本七十年史]]』
* 「きかなきくようにしてみせられる1」(佐藤尊勇の御神徳談)『[[おほもと]]』昭和32年(1957年)11月号、40頁
* 「旧道の細道」(佐藤尊勇の遺稿)の著者略歴、『[[いづとみづ]]』昭和56年(1981年)4月号、24頁
* [[出口和明]]『[[大地の母]]』みいづ舎版第10巻:佐藤忠三郎の入信前後の出来事が描かれている。
{{デフォルトソート:さとうたかお}}
[[Category:人物]]
明治24年(1891年)春、京都市内の材木商の家に生まれる。
明治44年(1911年)8月、次兄が大本に入信。本人は初めは信仰が無かったが、大正3年(1914年)2月に次兄が病死し、その後、自分も病気で倒れたことをきっかけに信仰するようになり、綾部で奉仕する。
[[第一次大本事件]]当時は、青年隊副長。
[[第二次大本事件]]では検挙を免れ、弁護事務や財産整理を手伝った。
昭和47年(1972年)祭務部長を最期に奉仕者を辞職。
昭和50年(1975年)1月、帰幽。享年84歳。
== 参考文献 ==
* 『[[大本七十年史]]』
* 「きかなきくようにしてみせられる1」(佐藤尊勇の御神徳談)『[[おほもと]]』昭和32年(1957年)11月号、40頁
* 「旧道の細道」(佐藤尊勇の遺稿)の著者略歴、『[[いづとみづ]]』昭和56年(1981年)4月号、24頁
* [[出口和明]]『[[大地の母]]』みいづ舎版第10巻:佐藤忠三郎の入信前後の出来事が描かれている。
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[[Category:人物]]