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** 第12巻の巻頭口絵には、「蓄音器吹込中の口述者出口聖師」の写真が掲載された。戦後の校定版や愛善世界社版でも同じ写真が第12巻巻頭に掲載されている。
** 録音当日の3月7日(旧2月9日)は新暦だと出口直日の満20歳の誕生日であり、旧暦だと高熊山修業から満24年目の記念日であった。<ref name="man20">「大本年表」には、録音当日の3月7日(旧2月9日)は「高熊山入山満二十年」と記されているが、それは間違いである。高熊山入山は明治31年(1898年)旧2月9日(新3月1日)であり、大正11年(1922年)旧2月9日(新3月7日)は満24年になる。旧2月8日に記された{{rm09|12|0003|総説歌}}には「めぐりめぐりて二十四年」と記され、旧2月9日に口述された{{rm|12|8|思出の歌}}には「花を手折りし今日の日は/二十五年の時津風」(数えで25年、あるいは満25年目に入ったという意味だと思われる)と記されているので、満20年ではない。この日は新暦だと明治35年(1902年)3月7日(旧1月28日)に出口直日が生まれてから満20歳の誕生日であり、旧暦だと高熊山入山の記念日なので、両者が混同して「高熊山入山満二十年」という誤記になったのだと考えられる。</ref>
* 王仁三郎が祝詞を吹き込んだ意図について[[大国美都雄]]は、信者が祝詞の上げ方(リズム等)がよく分からないため、聖師に模範的なものを出していただこうということでレコードに吹き込むことになった、と述べている。<ref>「聖師の肉体、生言霊発声の特徴 大国美都雄氏に聞く(聞き手 [[出口和明]])」『[[いづとみづ (機関誌)|いづとみづ]]』昭和63年(1988年)9月号、32頁</ref>
* 昭和6年(1931年)6月3日、王仁三郎は亀岡の[[明光社]]にて、音頭の吹き込みを行った。<ref name="omnp" />
* 同6月16日、王仁三郎は大阪の日本コロムビア会社にて、[[花明山節]]の吹き込みを行った。<ref name="omnp" />