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出口王仁三郎
,→綾部町議に当選
=== 綾部町議に当選 ===
大正14年(1925年)5月11日の綾部町会議員選挙に王仁三郎は立候補し当選する。定員20名に対して29名が立候補し、王仁三郎は55票を得てトップ当選した。『大本七十年史』は「綾部町労働者団の有志に推されて」と記しているが、『京都日出新聞』は「信者有志の者に推され」と報じている。大本関係者としては他に2名([[岩田久太郎]]ともう1名)立候補したようである。<ref>『[[京都日出新聞]]』大正14年(1925年)5月8日夕刊(9日付)p2、同5月12日夕刊(13日付)p2。</ref> <ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4444|国内宣教と造営}}」</ref>
王仁三郎が町議会に出席したことを詠んだ歌がいくつかある。「町議会出席すれば議員等が府税割当評議最中」「六円の弁当料を貰ひけり三度(みたび)町議に出席をして」どちらも大正15年(1926年)6月3日の歌日記<ref>『真如の光』大正15年(1926年)6月15日号p.10</ref>。
== 第二次大本事件以降 ==