差分

Jump to navigation Jump to search

比沼麻奈為神社

63 バイト追加, 2023年10月23日 (月) 16:32
元の鎮座地は本宮山
「[[故郷乃弐拾八年]]」には、本宮山から久次へ、そして伊勢へと遷座して行ったのではなく、<u>本宮山から直接伊勢へ遷座した</u>と記されている。(次の<u>下線部</u>)
{{Inyouinyou| 雄略天皇の勅命に依って、豊受姫大神を丹波国丹波郡丹波村比沼真奈井より、神風の伊勢国山田の村に移し祭り賜う神幸の途次、曾我部郷の宮垣内の聖場を択んで神輿御駐輦あらせられたのである。(略) 雄略天皇の勅命によつて、豊受姫大神を丹波国丹波郡丹波村比沼真奈井より神風の伊勢国山田の村に移し祭り賜ふ神幸の途次、曽我部郷の宮垣内の聖場を択んで神輿(しんよ)御駐輦(ごちゆうれん)あらせられたのである。(略)
 比沼真奈井神社の所在地は、太古は綾部の本宮山であった。そして天真奈井川原(あめのまないがわら)と云うのは、現今の和知川原の事である。丹波国丹波郡丹波村は現今の綾部の聖地である。中世、丹後国中郡久次村の真奈為が嶽の麓に、神社の旧蹟を移遷したと云う伝説が古来行なわれて居ったのである。然うすると、 比沼真奈井神社の所在地は、太古は綾部の本宮山であつた。そして天真奈井川原(あめのまなゐがはら)と云ふのは、現今の和知川原(わちがはら)のことである。丹波国丹波郡丹波村は現今の綾部の聖地である。中世、丹後国中郡(なかごほり)久次村(ひさつぎむら)の真奈為ケ嶽の麓に神社の旧蹟を移遷したと云ふ伝説が古来行はれて居つたのである。然うすると、<u>綾部の聖地から神風の伊勢の山田に遷座</u>の途中、曾我部の郷に、一時、御旅所として御駐輦になったのである。  太古、同社の神職は綾部の出口家が奉仕して居ったと曰う事であるが、後世に到って、山田の外宮に奉仕せる社家に出口姓が伝わって居る。彼の有名なる神道家・出口延佳(のぶよし)は、外宮の社家中で最も電要なる家格の人であったのを見ても、証明する事が出来るのである。亦大神の御旅所となり、神明礼を創建して奉仕せし藤原家の末裔たる王仁(わたし)が、太古の神縁ある綾部に来たりて、出口家の相続者と成ったのも不可思議な神縁で在ると思う。の途中、曽我部の郷に一時御旅所(おたびしよ)として御駐輦になつたのである。太古同社の神職は、綾部の出口家が奉仕してをつたと曰ふ事であるが、後世に至つて、山田の外宮に奉仕せる社家に出口姓が伝はつて居る。彼の有名なる神道家出口延佳(のぶよし)は、外宮の社家中で、最も重要なる家格の人であつたのを見ても、証明する事が出来るのである。亦大神の御旅所となり、神明社を創建して奉仕せし、藤原家の末裔たる王仁が、太古の神縁ある綾部に来りて、出口家の相続者と成つたのも、不可思議な神縁であると思ふ。|『[[出口王仁三郎著作集出口王仁三郎全集]] 第五巻』収録「生いたちの記」<ref> 第八巻』「{{obc|B121808c07|穴太の名義}}」及び「{{obc|B121808c08|綾部の聖地}}」(原題「故郷乃弐拾八年」、『[[http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195305c103 「生いたちの記」神霊界]]</ref>(原題「故郷乃弐拾八年」、『神霊界』大正10年2月号掲載)』大正10年2月号掲載)
}}

案内メニュー