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田村月樵
,→経歴が記されている資料
* 平井啓修「田村宗立研究─先行研究と所蔵資料の考察─」<ref>『Cross sections 京都国立近代美術館研究論集 Vol.8』2016年、24~35頁</ref>:田村宗立自筆の経歴資料によると「弘化三年八月二〇日に丹波国舟井郡河内村で生まれ、父の名は田村式部源宗貫で中山家に仕え、母の名は尚子」
* 長舟洋司「田村宗立関連資料の整理と紹介」p.73:「遺族によると、弘化3年5月8日生まれ、大正7年7月10日没。父の名は(貫立)式部、母はナミ。ちなみに、父・式部は医師。公卿の中山家に仕えたというが、資料では確認できない。医師であったから典薬寮の中山家であったかもしれない。宗立は、御所北面を勤めた速水家から妻・トモを娶っている」「園部近在[船井郡上河内村]には母・ナミの生家があり、現在は京都府船井郡園部町内」
* 黒田譲・著『[https://dl.ndl.go.jp/pid/778769/1/82** 本人の談「元私の生国は丹波の園部近在で厶いまして、父は名を式部と云ひ、公卿の中山家に仕へて居りました。夫で私は三歳の時京都に参り、此方で生長致し、其後亀岡、其頃は亀山と申しましたがそこへ参り、十歳の時まで居りました」「元治元年の五月、私は十九歳の時父は歿しまして(略)」名家歴訪録 中編]』明治32年(1899年)、p.123:本人の談「元私の生国は丹波の園部近在で厶いまして、父は名を式部と云ひ、公卿の中山家に仕へて居りました。夫で私は三歳の時京都に参り、此方で生長致し、其後亀岡、其頃は亀山と申しましたがそこへ参り、十歳の時まで居りました」「元治元年の五月、私は十九歳の時父は歿しまして(略)」<ref>中山家の中山慶子(1836~1907年)は明治天皇の生母。</ref> <ref>元治元年=1864年</ref>
* https://dl.ndl.go.jp/pid/933863/1/502
**「弘化三年八月二十日丹波国園部に生る、田村式部氏の長男」