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霊界物語

555 バイト追加, 2023年3月15日 (水) 23:14
著述の動機
大正10年(1921年)旧9月8日(新10月8日)王仁三郎に「明治31年に神より開示しておいた霊界の消息を発表せよ」という神命が下ったため、霊界の物語を発表する決心を定めた。しかしその年の春から<ref>王仁三郎は大正10年2月12日から6月17日まで投獄されていたが、春ということは、監獄の中で、ということになる。</ref>目を病み、頭が痛み、執筆が自由に出来なかった。無理に執筆しようとすると、たちまち目と頭が痛くなるという状態であった。そのため神命が降ってもすぐに着手せずにいたところ、17日の夜、寝ている王仁三郎の枕元に教祖(出口直)の神霊が現れ、指示棹で畳を3~4回、馬に鞭打つように叩いた。王仁三郎は直ちに起き上がり「明日から口述に着手しますから安心して下さい」と言うと教祖はニッコリとして姿を隠した。18日の朝に神教があり「汝は執筆しなくてよい。神は汝の口を借りて口述するから、[[外山豊二]]・[[加藤明子]]・[[桜井重雄]]・[[谷口正治]]の4人に筆録させよ」と命じられ、その日(新10月18日)から口述・筆録という方法で霊界物語の著述が開始された。<ref>{{rm09|2|0001|序}}及び{{rm09|8|0003|総説}}による。</ref> <ref>{{rm09|73|0001|序文}}には「顧みれば大正十年十月十八日(旧暦九月十八日)'''天津神の神示と開祖神霊の請求により'''」と記されている。</ref>
 
== 著述の様子 ==
[[ファイル:霊界物語第10巻総説歌の直筆原稿.jpg|thumb|[[霊界物語]]{{rm09|10|0003|総説歌}}の原稿。[[王仁三郎]]の直筆。]]
 
(書きかけ)
 
* {{rm|46|14|打合せ}}の末尾に「本日午前九時より午後十一時まで十四時間に原稿紙八百一枚を口述し終れり。これ今日までのレコード也」と記されている。1時間に約57枚分、口述したことになる。
* 200字詰め(1行20字詰め×10行)の原稿用紙が使われた。(写真参照)
== 著述時期 ==

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