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霊界物語
,→巻数
** 第8巻には、全12冊で終わる予定だったと記されている。<ref>{{rm09|8|1|序文}}(大正11年2月著):「総じてこの霊界物語は、口述の最初に当り五百六十七節にて完成する考へを以て、一冊を五十節に刻み全十二冊の予定のところ、到底是にてはその一部分をも講了すべからざるを覚り、本巻よりは一冊五十章組の規定を破り、口の車の行き突きばつたりに歩を進むる事と致しました」</ref>
** [[第二次大本事件]]で投獄されていた王仁三郎は側近に手紙を出し(時期不明)、タイプライターを習っておくようにと命じた。出獄後、霊界物語の残り39巻を口述するつもりだったようである。<ref>王仁三郎の側近・[[三浦玖仁子]]の回想記『[[花いろいろ]]』p41-42:「ある日のことです。聖師さまからお便りを通し、「わしはタイプが必要だからタイプを習っておいてくれ」とのお指図を頂戴したのです。私は、さっそく藪内家(編注・この当時、三浦は京都の藪内家に住んでいた)から市内のYMCAへタイプを習いに通いました。あとで伺ったことですが、聖師さまは─刑務所から出てから、あと四十巻ほど物語を出す─ご予定だったのです。その内容は─刑務所の中のことを面白く風刺して書く─はずであったのです。そのためにタイプを勉強しておくようにお命じになったのですが、結局、そのご計画も、ご無理がたたり実現するにいたりませんでした」。このエピソードの直後に昭和15年(1940年)2月29日の第一審判決のことが記されているので、昭和11~14年の間のエピソードか?</ref> <ref>和文タイプライターは大正4年(1915年)に商品化されている。</ref>
** 昭和21年(1946年)2月の[[愛善苑]]発足後も、王仁三郎は霊界物語の続きを口述することに熱意を燃やしていた。しかし8月に病気で絶対安静状態となり、続きが口述されることはなかった。王仁三郎昇天後に[[森良仁]]が次のように語っている。「愛善苑は若い者たちでやれるようになった、自分は、これからゆつくり霊界物語を口述して、完成したいと仰せになり、構想もお話し下すつていました。暑いとき寒いとき、その時々で場所を変えよう、人の来ないところにしようではないか、それに、二三人で、のんびりやろうなどとも仰言られますので、たのしみにして居りました。しかし、御発病のためお供が出来ずまことに残念でした」<ref>『[[愛善苑]]』第32号(昭和23年8月1日発行)p29、座談会「夏の夜がたり」の中での[[森良仁]]の発言。</ref>。
== 著述の動機 ==