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行雲流水
,編集の要約なし
'''行雲流水'''(こううんりゅうすい)は、[[石山照明]](いしやま てるあき)の著書。父・[[石山喜八郎]]の伝記小説。の生涯を記録した伝記小説。
ハードカバーとソフトカバー(普及版)の2種ある。
* p215/エピローグ──戦後の長い小春日和
* p231/終わりに
== 中岡艮一との会遇 ==
本書p77-78に、石山喜八郎が大本幹部宅で中岡艮一とたまたま会遇したエピソードが書いてある。「昭和八年頃」に石山喜八郎が東京・目黒に住む大本幹部の[[木村瑞枝]](木村貞次)<ref>昭和10年に東京連合会会長、昭和神聖会東京地方本部長になっている。</ref>の自宅を訪問した。そこへ中岡艮一が訪ねて来た。中岡は大正10年(1921年)に原敬首相を刺殺し無期懲役の判決を受けるが、3回の恩赦で減刑され昭和9年(1934年)1月30日に出所している。したがって本書には「昭和八年頃」と書いてあるが、実際には昭和9年か10年であろう。
{{inyou|(略)聞くと今は満州国の特務機関で働いており、東京の参謀本部に用事があって上京し、明日また帰るという話だった。
無遠慮な喜八郎は中岡に当時の心境を訊ねた。十九歳の少年が一国の総理を暗殺するというのは歴史上希有であり、なんとしても聞いておきたかった。
中岡はしばらく沈黙していたが、
「私が一人立って、原総理を倒さねば日本が滅びると思った。その信念に動揺がなかったので、誰にも相談せずに自分は決行した」と重い口を開いた。
「では、今の心境は」と喜八郎が重ねて尋ねると、
「ああした人物を幾人倒しても、一向に政界も日本も浄化されない事実を知って、今では気の毒なことをしたと思っている」と中岡はぼそりと語った。二時間弱彼と話して喜八郎が感じたことは、中岡は一般人と異なる憂国慨世の壮士ということだった。
喜八郎は木村先生に、何の用事で中岡氏はここを訪ねてこられたのですかと聞いたところ、先生は満州国の陰の立役者である馬賊の辺見勇彦の紹介状を持ってきたので、会っただけで別に深い意味はないと答えた。|『行雲流水』p77-78 }}
== 脚注 ==