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耀盌
,→昇天後の歴史
== 昇天後の歴史 ==
王仁三郎が作った楽焼茶碗は、信徒にとっては信仰的な意味で価値が高いものだが、信徒以外でその芸術的価値を高く評価したのは、[[加藤義一郎]](工芸美術の評論家、日本美術工芸社主幹)が最初である。加藤は昭和24年(1949年)2月、岡山県伊部町の[[金重陶陽]](備前焼の陶匠、昭和31年に人間国宝に認定<ref><wp>金重陶陽</wp></ref>)を訪問し、王仁三郎作の楽焼茶碗「天国廿八」と「御遊(ぎょゆう)」を見て感激した。その感想を『日本美術工芸』誌の同年3月号に「耀盌顕現」と題して発表した。また8月号では「耀盌〝天国廿八─出口王仁師手造茶盌〟」と題する論評を発表した。)を訪問し、そこで王仁三郎作の楽焼茶碗「天国廿八」と「御遊(ぎょゆう)」を見て感激した。その感想を『日本美術工芸』誌の同年3月号に「耀盌顕現」と題して発表した。また8月号では「耀盌〝天国廿八─出口王仁師手造茶盌〟」と題する論評を発表した。<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c7452|楽天社の発足宣言とその活動}}」</ref>
これにより大本でも、王仁三郎の楽焼茶碗を「耀盌」と呼ぶようになった。