差分

Jump to navigation Jump to search

7月12日

5,262 バイト追加, 2022年5月12日 (木) 20:26
ページの作成:「'''7月12日'''は、出口王仁三郎の誕生日。明治4年(1871年)7月12日に生誕した。 日本は明治5年(1872年)にグレゴリオ暦(い…」
'''7月12日'''は、[[出口王仁三郎]]の誕生日。明治4年(1871年)7月12日に生誕した。

日本は明治5年(1872年)にグレゴリオ暦(いわゆる新暦)を採用したため、明治4年7月12日はいわゆる旧暦である。新暦だと[[8月27日]](日曜日)に当たる。

== 瑞生大祭 ==
王仁三郎の誕生を記念する祭典は「誕生祭」や「生誕祭」等と呼ばれ旧7月12日に開かれていた。

昭和6年(1931年)8月25日(旧7月12日)は数え年61歳(満60歳)つまり還暦を迎えた年であったが、王仁三郎は還暦という言葉を嫌い「更生(こうせい)」<ref>更生という文字を合すると「甦(よみがえる)」になる。</ref>と呼んだため<ref>『出口王仁三郎著作集 第五巻』「{{obc|B195305c211|更生の年をむかえて}}」:「世の中の多くの人は六十一歳の還暦を迎えると、自分でも老人の如うな感じがすると同時に、他人からも老人扱いされるものであって(略)それで私は六十一歳の還暦を「更生」と称えて、いよいよこれから世界の為に緊褌一番せにゃならぬからとて」(初出は『[[神の国]]』昭和10年11月号「大鏡 {{obc|B182000c31|六十歳以上の人の為に}}」)</ref>「更生祭」と称して祭典が盛大に開かれた。
<ref>『[[大本史料集成]] Ⅱ』「{{obc|B195502c2202051|聖師更生祭 歓呼祝呼に充たされた四日間}}」</ref>
<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5133|梅花運動}}」</ref>

昭和22年(1947年)8月27日(旧7月12日)は数え年77歳(満76歳)<ref>昇天の約5ヶ月前。</ref>で喜寿であり、当初は「喜寿慶祝祭」として行う予定であったが、王仁三郎が「喜寿」という言葉を嫌ったため「[[瑞生祭]]」という名称で祭典が開かれた。この時から王仁三郎の誕生祭は「[[瑞生祭]]」(後に「[[瑞生大祭]]」)と称することになった。
<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c7221|本部と地方のうごき}}」:「当初本部からは「喜寿慶祝祭」として発表されたが、聖師の言葉にもとづき急拠変更して、このときから聖師の生誕祭を「瑞生祭」と称することになったのである」</ref>
<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c731|昇天}}」:「一九四七(昭和二二)年八月二七日(旧七月一二日)は、聖師のかぞえ年七七才(満七六)、喜寿の誕生日である。ところがさきにもふれたように、聖師は「七十七」とか喜寿という言葉をきらい、「わしは'''三十三'''じゃ」といいはって喜寿としての慶祝はゆるされなかった。そこで「瑞生祭」とよぶことにし、盛大に瑞生祭が月の輪台でおこなわれた」</ref>
<ref>『[[新月の光]]』1276「瑞生祭のはじまり」:「聖師七十七歳の誕生日のお祭りを、喜寿祝として頂くこととなったら「王仁は'''三十二'''である。喜寿祝はいかぬ」とのお言葉があったので、出口宇知麿氏から「瑞生祭では如何ですか」とお伺いされたら「それでよい」との事にて、昭和二十二年の誕生日より瑞生祭と称えることとなった」…王仁三郎の発言中の年齢が『大本七十年史』では「三十三」だが『新月の光』では「三十二」になっている(タニハ版p576、昭和30年版p189、八幡版下巻p418)。ニュアンス的に瑞の御魂に因む「三十三」が妥当か?</ref>

その後も瑞生大祭は旧7月12日に執行されていたが、日はたびたび変更になっている。

昭和30年(1955年)からは王仁三郎が昭和17年8月7日に出獄したことを記念して新暦[[8月7日]]に変更された。しかし昭和52年(1977年)から再び旧7月12日に変更された。<ref>『[[第三次大本事件の真相]]』「第三次大本事件勃発」p212</ref>

平成15年(2003年)から再度8月7日に変更になった。<ref>[https://oomoto.or.jp/wp/matsuri/ 大本のまつり](宗教法人大本)令和4年(2022年)5月12日閲覧</ref>

[[大本信徒連合会]]では旧暦7月12日に「[[瑞生大祭]]」を、[[愛善苑 (新)|愛善苑]]では旧暦7月12日に近い日曜日に「[[瑞霊降誕祭]]」を執行している。(いずれも令和4年(2022年)現在)

== 神集祭 ==
[[神集祭]]は旧7月6日から旧7月12日まで一週間行われる。

== 大本神諭 ==
[[大正十年立替説]]で重視された[[大本神諭]]の一節「明治五十年を真中として、前後十年の間が世の立替の正念場であるぞよ」「明治五十五年の三月三日、五月五日は誠に結構な日であるから、それ迄はこの大本の中は辛いぞよ」は、明治37年(1904年)旧7月12日に降りた大本神諭に記されている。〔大本神諭{{os|35|明治37年旧7月12日}}〕

== 関連項目 ==
* [[712]]

{{デフォルトソート:712}}
[[Category:日付]]

案内メニュー