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霊界

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ページの作成:「{{kakikake}} '''霊界'''(れいかい)とは、広義では「霊妙な世界」という意味で、神幽現三界の総称<ref>{{kgm|008|霊界と神霊界}}…」
{{kakikake}}

'''霊界'''(れいかい)とは、広義では「霊妙な世界」という意味で、[[神幽現]]三界の総称<ref>{{kgm|008|霊界と神霊界}}:「霊界とは霊妙な世界と云ふ事であつて、顕、幽、神三界を総称してしか云ふのである」</ref>。『[[霊界物語]]』の「霊界」はこの意味である。狭義では想念の世界であり、肉体の世界である現界に対して霊魂の世界を指す。

本項では狭義の霊界について解説する。

== 霊界の構造 ==
霊界は「'''天界'''(てんかい)」「'''中有界'''(ちゅううかい)」「'''地獄界'''(じごくかい)」の三つの境域に区画される。人は死後、その霊魂はまず中有界へ入り、しばらくそこで生活した後、霊魂の性質に従って天界または地獄界へ入る。〔この解説は主に{{rm|1|5|霊界の修業}}、{{rm09|16|9902|霊の礎(一)}}、{{rm09|42|0002|総説に代へて}}、{{rm09|37|9901|霊の礎(九)}}による〕

* '''天界'''は別名を「'''神界'''(しんかい)」や「'''高天原'''(たかあまはら)」とも呼ぶ。天界は正しい神々や人々の霊魂が安住する世界である。「'''天国'''(てんごく)」と「'''霊国'''(れいごく)」の二つの境域に区画される<ref>{{rm|1|5|霊界の修業}}には天界は「天の神界」「地の神界」に別れていると書いてあるが、それぞれ「天国「霊国」に相当するか? 「大本略義」では「天の神界」「地の神界」はそれぞれ「幽の顕界」「顕の幽界」に相当する。「{{obc|B195301c42|顕幽の神称}}」「{{obc|B195301c44|幽の顕}}」参照。</ref>。天界は愛善信真の世界であり、愛善の度合いが高い天人は天国へ、真信の度合いが高い天人は霊国へ入る。天国も霊国も大きく分ければ三段階、細かく分ければ181段階(最上位は主神でありそれを除けば180段階)<ref>{{rm|10|26|貴の御児}}、{{rm|28|19|高島丸}}、他</ref>ある。天国では主神が太陽として、霊国では月として顕れる。天国天人は祭典を、霊国天人(エンゼル)は説教(宣伝)を司る<ref>{{rm|47|19|化相神}}</ref>。
* '''中有界'''は別名を「'''精霊界'''」「'''浄罪界'''(じょうざいかい)」「'''天の八衢'''(あめのやちまた)」「'''六道の辻'''(ろくどうのつじ)」「'''中界'''(ちゅうかい)」とも呼ぶ。中有界は天界と地獄界の中間にある世界である。人が死後直ちに至る世界であり、霊界と現界の中間にある世界である<ref>{{rm|50|1|至善至悪}}:「精霊界は霊界現界の又中間に介在せりと云つてもいい位なものである」</ref>。中有界の中で現界に近い境域に「'''兇党界'''(きょうとうかい)」があり「肉体的精霊」が棲んでいる。
* '''地獄界'''は別名を「'''幽界'''(ゆうかい)」「'''根底の国'''(ねそこのくに)」とも呼ぶ(ただし「[[幽界]]」は他の意味も持つ→「[[幽界]]」を見よ)。地獄界は邪神が集まる世界であり、罪悪者が堕ちて行く世界である。「'''根の国'''」「'''底の国'''」の二つの境域に区画される。地獄界は悪(悪欲)と虚偽の世界であり、根の国は虚偽、底の国は悪(悪欲)の世界である。根の国は「魔王」が支配し、底の国は「サタン」が支配する<ref>{{rm|56|1|神慮}}、第56巻巻頭の挿絵</ref>。

== 想念の世界 ==
〔この解説は主に{{rm09|21|0003|総説}}、{{rm|47|12|天界行}}、{{rm|48|11|霊陽山}}による〕

* 霊界は想念の世界である(より厳密に言えば意志と想念の世界)。現界は霊界の移写であり、縮図である。
* 想念の世界であるから、霊界には現界のような時間や空間というものは存在しない。情動の変化があるだけである。(天界では)情動の変化が多ければ多いほど時間は延長される。また、真と善の情態によって空間は延長される。<ref>{{rm|48|11|霊陽山}}:「而して高天原は想念の世界なるが故に、其延長は善の情態を表はし、其広さは真の情態を表はし、其高さは善と真との両方面を度合の上より見て区別することを表はすものである。又霊界に於ては先に述べた通り、時間空間などの観念は少しもない、只情動の変化あるのみである」、「想念の延長によりて、現界人の一ケ月以上もかかつて巡歴した様な長時間の巡覧をなしたのである。而して情動の変化が多ければ多い程、天国に於ては延長さるるものである」</ref> <ref>{{rm|47|19|化相神}}:「天国に於ては時間空間など云ふものはなく、従つて午前午後昼夜などの区別はない。併しながら情動の変異に依つて、朝たり夕べたるの感覚が起るものである」</ref> <ref>{{rm|47|12|天界行}}:「霊界には時間もなければ空間もありませぬ。まして天国には秋冬もなければ夜もない、只情動の変化があるのみです。凡て霊界は想念の世界ですから、時間などは問題にはなりませぬ」</ref>
* 霊界では誰かのことを想うと、その人の容貌や人生の一切が想い浮かぶ。<ref>{{rm|63|10|鷺と鴉}}:「霊界に於て甲が若し乙の事を思ふ時は忽ちその面貌を思ひ之と同時に、その生涯に於いて起りし一切の事物を思ふものです」</ref>
* 霊界の精霊の容貌は、その精霊の情動そのもの。愛善の情動を有する者は美しく気品のある容貌で、悪しき情動を有する者は醜く汚く妖怪のような容貌である。<ref>{{rm|48|8|亡者苦雑}}:「愛善の情動を有するものは其面貌美はしく且何処ともなく気品あり、光明に輝けども、悪しき情動に居るものの面貌は実に醜穢にして一見して妖怪ならむかと疑はるるばかりである」</ref>

== 霊魂の世界 ==
霊界は「死後」の世界であるが、厳密に言えば、現界に生きている時から霊魂は霊界に所属している。肉体は現界に所属しており、つまり人は霊界と現界の両方に所属している存在である。

== 天界の概要 ==
〔天界の実相は主に次の箇所に書いてある。[[霊界物語]][[第47巻]]第3篇「天国巡覧」(第12~21章)、[[第48巻]]第3篇「愛善信真」(第10~14章)、[[霊の礎]](六)(九)(一〇)(一一)〕

* 天界は「'''天国'''(てんごく)」と「'''霊国'''(れいごく)」の二つの境域に分かれている。
* 天国では[[主神]]は太陽となって現われ、霊国では月となって現われる。天国の太陽は現界で見る太陽の七倍の光で輝き、霊国の月は現界の太陽の光のように輝く。<ref>{{rm|47|13|下層天国}}:言依別のセリフ「天国の太陽とは厳の御霊の御神格が顕現して、茲に太陽と現はれ給ふのです。故に現界の太陽とは非常に趣が違つて居ります。霊国にては瑞の御霊の大神月と現はれ給ひ、天国にては又太陽と現はれ給ふのであります。さうして霊国の月は現界から見る太陽の光の如く輝き給ひ、又天国の太陽は現界で見る太陽の光に七倍した位な輝き方であります」</ref>
* [[天国天人]]は祭典を司り、[[霊国天人]](エンゼル、天使)は説教(宣伝)を司る。祭典は午前中に行われ、説教は午後に行われる。<ref>{{rm|47|19|化相神}}:「天国人の祭典を行ふのは、天国団体の重要なる務めの一となつてゐる。天国の天人は愛の善に居るが故に、大神を愛し且同僚を愛し、天地惟神の法則に従つて宇宙の創造主たる神を厳粛に斎り、種々の珍らしき供物を献じ、而して後神の愛に浴するを以て唯一の歓喜となし、唯一の神業としてゐるのである。而して天国人は決してエンゼルになつたり、或は宣伝使にはならないのである。エンゼルや宣伝使になる天人は、すべて霊国天人の任務である。何とならば霊国は信の真に充ちたる者多く、天国は愛の善にみちたる者多き国土なるが故である」「天国人の祭典は午前中に行はれ、霊国即ち月の国から出張し来る宣伝使は午後に至つて説教を初むるのが例となつてゐる」</ref> <ref>{{rm|49|1|地上天国}}:「天国の天人団体に入りし者は、祭祀をのみ事とし、霊国の天人は神の教を伝ふるを以て神聖なる業務となすのである」</ref>
* 天国も霊国も三階層に分かれている。最上層の天国は第一天国(最高天国、最奥天国)、中間層は第二天国(中間天国)、最下層は第三天国(下層天国、最下天国)と呼ばれる。霊国の場合もこれに準ずる。各階層の天国・霊国はそれぞれさらに三階層ずつに区画されている。もっと細かく分けるなら180階層(一番上位は主神であり、それを含めると181階層)になる。<ref>{{rm|45|14|三昧経}}:[[五三公]]のセリフ「上根にも上中下があり、中根の中にも又上中下があり、下根の中にも亦上中下があつて、三三が九階級、区別がついてゐるのだ、これもホンの大要で、細かく言へば百八十段になる」。[[本教創世記]]{{obc|B195301c10|第四章}}:「正神には百八十一の階級がある。妖魅にもまた百八十一の階級がある」。『[[新月の光]]』0797「神界の階級と現界の階級」:「神界の百八十一階級は第一階級はお上で後が百八十階級で、三六になっている」。{{rm|28|19|高島丸}}:[[高姫]]のセリフ「神の階級は百八十一通ある。そして其一番上の大神こそ天御中主大神、又の御名は大国治立尊と云つて、始無く終なく、無限絶対独一の誠の独り神様だ」。</ref> <ref>{{rm|47|20|間接内流}}:「天国の組織は最高天国が上中下三段に区画され、中間天国が又上中下三段に区画され、最下層の天国亦三段に区画されてある(略)又霊国も同様に区画され、信と智の善徳や智慧証覚の度合によつて霊国が三段に大別され」</ref> <ref>『[[宣伝使の心得]]』{{obc|B195600c11|宣伝使は媒介天人}}:「天人にもいろいろと階級があって百八十一段もあり(略)エンゼルは天国ばかりでなく中有界、地獄までも下りて、種々救済に努むるものであります」</ref>
* 上層の天国から下層の天国を見ることは出来るが、語らうことは出来ない。上層の天人が下層の天人と語らうと証覚が塞がってしまう。また下層から上層を見ることは出来ない。雲が頭上にかかっているように見える。それぞれの階層を互いに往来することは出来ない。<ref>{{rm|47|15|公義正道}}:「仮令下天界の天人が仰ぎ望む事あるも、更に更に其姿を見る事を得ず、唯上天界は尚雲が頭上にかかつて居る如く見えるばかりである。これに反し上天界の天人は、下天界の天人を見る事が出来る。併し乍らこれと相語る事は出来ない。もしも下天界人と相語るやうな事があれば、忽ち其証覚を失ふものである」</ref> <ref>{{rm|48|14|至愛}}:気吹戸主のセリフ「最高天国、中間天国、下層天国及び三層の霊国は、厳粛な区別を立てられ、各天界の諸天人は互に往来する事さへも出来ないのです(略)もしも下の天国より上の天国に上り行く天人があれば必ず痛く其心を悩ませ、苦み悶え、自分の身辺に在る物さへ見えない様に、眼が眩むものです。ましてや上天国の天人と言語を交ゆる事などは到底出来ませぬ。又上天国から下天国へ下り来る天人は忽ち其証覚を失ひますから、言語を交へむとすれば、弁舌渋りて重く、其意気は全く沮喪するものです」</ref>
* 霊国の天人(エンゼル)は説教のため天国へ行けるし、中有界や地獄界へも行ける。最下層の霊国天人は最上層の地獄にしか降りられないが、最上層の霊国天人は最下層の地獄まで降りることが出来る。<ref>『[[宣伝使の心得]]』{{obc|B195600c11|宣伝使は媒介天人}}:「エンゼルは天国ばかりでなく中有界、地獄までも下りて、種々救済に努むるものであります」、同{{obc|B195600c13|名は実の主}}:「相応の理で、第一天国と、一番底の悪の強い地獄(第三地獄)と相応し、中間の天国は中間の地獄に、最下層すなわち第三天国は一番浅い上層の地獄(第一地獄)に相応して居りますから、第一天国の宣伝使は、最底の地獄へ宣伝に行ってその時智慧証覚が下っても、また忽ち元の通りに向上して来るものです。この理により、中間天国の宣伝使は上層または中間地獄より行けない。それは宣伝使の智慧証覚が少ないから、最底地獄へ行ったら帰って来られんことがあるからである。悪の強い処は余程すぐれた人でないと犯されてしまいます」(ここに書いてある「天国」は意味から見て「霊国」の間違いであろう)</ref>
* 天界の上層から下層に向かって流れる主神の神格を「[[間接内流]]」と呼ぶ。主神から直接、天界全般に流入する神格を「[[直接内流]]」と呼ぶ。<ref>{{rm|48|14|至愛}}:[[気吹戸主]]のセリフ「接内流とは大神様から直に天界全般に御神格の流入するものであり、間接内流とは各天界と天界との間に、神格の流れ通ずるのを言ふのです」</ref>
* 意志想念あるいは智慧証覚の違いによって大小様々無数の「天国団体」「霊国団体」がある。大きな団体は10万人もおり、少ない団体は50人前後の団体もある。仏教や神道、キリスト教など宗教によってそれぞれの天国がある。<ref>{{rm|47|12|天界行}}:言依別のセリフ「同気相求むると云つて、同じ意思想念の者が愛の徳に仍つて集まるのであります」</ref> <ref>{{rm|47|19|化相神}}:「天国の団体は大なるものに至つては十万も集まつて居り、少いのは五六十人の団体もある。之は愛と信より来る想念の情動如何に依つて相似相応の理により団体を形成するからである」</ref> <ref>{{rm|47|20|間接内流}}:「各段の天国は個々の団体を以て構成され、愛善の徳と智慧証覚の度合の如何によりて幾百ともなく個々分立し、到底之を明瞭に計算する事は出来ないのである」</ref> <ref>{{rm09|20|9901|霊の礎(六)}}:「宗教の異同に依つて、人霊の到る天国も違つて居る。仏教信者は仏教の団体なる天国へ上り、耶蘇教信者は耶蘇教の団体なる天国へ上り、回々教信者は回々教の団体なる天国へ上り(略)神道の信者は神道の団体なる天国に上り(略)そして神道の中にも種々の派が分かれ、各自違つた信仰を持つて居るものは、又それ相当の団体にあつて活動し、歓喜に浴して、天国の生涯を楽んで居る」「高天原に於ける団体は、大なるものは十万人もあり、五万人、三万人、一万人、五千人、尠い団体になると四五十人のもある」</ref>
* 天人は毎日遊んでいるわけではなく自分の天職に励んでいる。<ref>{{rm|47|12|天界行}}:[[言依別]]のセリフ「現界の人間は、高天原の天人は年が年中歌舞音楽に耽り、歓楽に酔うてゐる様に考へて居りますが、決して天国だとて、のらのらと放蕩遊惰に日を送つてゐる者はありませぬ(略)彼等天人は各自の天職を楽み、営々として神業に参加し、士農工商の業務を営んで居ります」</ref>
* 天人たちは、総ての仕事は、神様にやらせていただく、という考えで自分の天職に励んでいる。<ref>{{rm|48|10|天国の富}}:五三公のセリフ「皆一切平等に何事も御神業と喜んで額に汗をし、神様のために活動して居るのです」「何人も神様のお蔭によつて働かして頂くのだ、神様の御神格によつて生かして頂くのだと、日々感謝の生活を送らして頂くのですから」</ref>
* 同じ天国団体に所属する天人の顔は皆とてもよく似ている。<ref>{{rm|47|18|一心同体}}:[[竜公]]のセリフ「どのお方の顔を見ても、本当に能く似てゐるぢやありませぬか」[[珍彦]]のセリフ「人間の面貌は心の鏡で厶いますから、愛の善に充ちた者同士同気相求めて群居してゐるのですから、内分の同じき者は従つて外分も相似るもので厶います。それ故天国の団体には余り変つた者が厶いませぬ。心が一つですからヤハリ面貌も姿も同じ型に出来て居ります」</ref>
* 天界の夫婦は双子のようにそっくりであり、夫婦で一人と数える。<ref>{{rm|47|18|一心同体}}:珍彦のセリフ「夫婦は愛と信との和合に依つて成立するものです。所謂夫の智性は妻の意思中に入り、妻の意思は夫の智性中に深く入り込み、茲に始めて天国の結婚が行はれるのです。言はば夫婦同心同体ですから、面貌の相似するは相応の道理に仍つて避くべからざる情態です。(略)故に天国に於ては夫婦は二人とせず一人として数へることになつてゐます」</ref>
* 天界では男は30歳、女は20歳の姿である。<ref>{{rm|47|18|一心同体}}:珍彦のセリフ「天人だとて人間の向上発達したものですから、人間の心は男ならば三十才、女ならば二十才位で、大抵完全に成就するでせう、而して仮令肉体は老衰しても其心はどこ迄も弱りますまい。否益々的確明瞭になるものでせう。天国は凡て想念の世界で、すべて事物が霊的で厶いますから、現界に於て何程老人であつた所が天国の住民となれば、あの通り、男子は三十才、女子は二十才位な面貌や肉付をしてゐるのです」</ref> <ref>{{rm09|20|9901|霊の礎(六)}}:「天国の団体にある天人は、何れも男子なれば現界人の三十才前後、女子なれば二十才前後の若い姿である」</ref>
* 天国は人体の心臓に相応し、霊国は肺臓に相応する。<ref>{{rm|47|20|間接内流}}:「日の国即ち天国は人身に譬ふれば心臓及び全身にして心臓に属すべき、一切のものと相応して居る。又月の国即ち霊国は其肺臓及び全身にして肺臓に属すべき一切の諸機関と相応してゐる。さうして心臓と肺臓とは小宇宙、小天地に譬ふべき人間に於ける二つの国土である」</ref>
* 天人の言葉はアオウエイ。天国天人の言葉はウとオが多く、霊国天人の言葉はエとイが多い。<ref>{{rm|47|18|一心同体}}:「日の国即ち天国天人の言語には、ウとオとの大父音多く、月の国即ち霊国天人の言語にはエとイの大父音に富んでゐる。而して声音の中には何れも愛の情動がある。善を含める言葉や文字は多くはウとオを用ひ、又少しくアを用ふるものである。真を含んでゐる言葉や文字にはエ及びイの音が多い」</ref>
* 天界の土地はすべて団体の公有である。<ref>{{rm|48|10|天国の富}}:[[五三公]]のセリフ「土地は全部団体の公有です」</ref>
* 天界でも貧富の区別はある。現界のように労働の対価としての報酬ではなく、現界にいる時に積んだ善徳によって貧富が決まる。他の天人に財産を施すことは出来ない。<ref>{{rm|48|10|天国の富}}:五三公のセリフ「天国にも貧富の区別があります」「貧富は皆神様の賜ふ所で、天人が各自の努力によつて獲得したものではありませぬ。何れも現実界にある時に尽した善徳の如何によりて、天国へ来ても矢張り貧富が惟神的につくのです」「天国で頂いた財産は総て神様から賜はつたものですから、地上の世界の如く自由に之を他の天人に施す事は出来ませぬ。ただ其財産を以て神様の祭典の費用に当てたり、公休日に天人の団体を吾家に招き、自費を投じて馳走を拵へ大勢と共に楽しむので厶います」</ref>
*
* 天国天人は主に天界の高所(現界での山岳の頂上)に住んでいる。霊国天人は少し低いところ(現界での丘陵)に住んでいる。<ref>{{rm|48|11|霊陽山}}:「天国団体を組織せる天人は大抵高い所に住居を占めてゐる(略)霊国団体を造れる天人は、少し低い所に住居を定めて居る。恰も丘陵の様である」</ref>
* 天界はそれ自体が一個の人であり、天国団体もそれ自体が一個の人として、所属する天人たちはみな心を一つにして活動している。<ref>{{rm|48|12|西王母}}:「高天原と天界は至大なる一形式を備へたる一個人である。さうして高天原に構成されたる天国の各団体は之に次げる所の大なる形式を備へたる一個人の様なものである」</ref>
* 神が創ったこの世界は「用(よう)」(働き、役目)の世界であり、用のないものは存在しない。存在するものはすべて用がある。<ref>{{rm|47|12|天界行}}:言依別のセリフ「決して天国だとて、のらのらと放蕩遊惰に日を送つてゐる者はありませぬ。すべて神様が宇宙をお造り遊ばしたのは一つの目的があるためです、其目的とは即ち用であります。故に用のなき人間は霊界にも現界にも決して存在を許されない筈です」</ref> <ref>{{rm|47|21|跋文}}:「主神の国土は目的の国土である。目的とは用そのものである。故に主神の国土を称して用の国土と云うても可なる訳である。用これ目的である」</ref>
*
* 天界では自分の顔の正面が東であり、常に太陽または月(つまり主神)に向かっている。<ref>{{rm|47|20|間接内流}}:五三公のセリフ「高天原に於ては大神様が日輪様と現はれ給ふ処を東となし、之に対するを西となし、それから高天原の右の方を南となし、左の方を北とするのです。さうして天界の天人は何れの処に其顔と体躯とを転向するとも、皆日月に向つて居るのです。其日月に向うた処を東と云ふのです。故に高天原の方位は皆東より定まります。何故なれば、一切のものの生命の源泉は、日輪様たる大神様より来る故である」</ref>
* 天国の統治制度を「[[正道]](せいどう)」、霊国の統治制度を「[[公義]](こうぎ)」と呼ぶ。<ref>{{rm|47|15|公義正道}}:「天国即ち日の国にあるが如き、善によつて行はるる統治を正道と云ひ、霊国即ち月の国にあるやうな真によつて行はるる統治を公義と云ふのである」</ref>

== 中有界 ==

* 中有界は善霊、悪霊の集合地点である。<ref>{{rm|47|7|酔の八衢}}:「中有界は、善霊、悪霊の集合地点である」</ref>
* 人が死後最初に至る世界が中有界である。ここに居住した後、その霊魂の内分に相応する天界や地獄界へ進んで行く。その居住する期間は人によって異なるが、30年以上滞在することはない。極善の霊魂は直ちに天界へ進み、極悪の霊魂は直ちに地獄界へ進む。<ref>{{rm09|16|9902|霊の礎(一)}}:「人霊の八衢に彷徨し居住する期間は必ずしも一定しない(略)極善極真は直に高天原に上り、極邪極悪は直に根底の国へ墜落して了ふのである。或は八衢に数日又は数週日数年間居るものである。されど此処に三十年以上居るものは無い。此の如く時限に於て相違があるのは、人間の内外分の間に相応あると、あらざるとに由るからである」</ref> <ref>{{rm|58|24|礼祭}}:[[三千彦]]のセリフ「中有界にある精霊は何程遅くても三十年以上居ないといふ教を聞きましたが」</ref>
* 中有界において生前の家族や友人と会うことは出来るが、天界や地獄界へ進んだらもはや会うことは出来ない。同一の想念を持った人とだけ会うことが出来る。<ref>{{rm09|16|9902|霊の礎(一)}}:「肉体の生涯に在りし時に於て朋友となり知己となりしものや、特に夫婦、兄弟、姉妹となりしものは、神の許可を得て天の八衢に於て会談することが出来るものである」「生前の朋友、知己、夫婦、兄弟、姉妹と雖も、一旦この八衢に於て別れたる時は、高天原に於ても根底の国に於ても再び相見る事は出来ない。又相識る事も無い。但同一の信仰、同一の愛、同一の性情に居つたものは天国に於て再び相見、相識ることが出来るのである」</ref>
* 人は死後、天界や地獄界に行くにあたって経過すべき状態が三段階ある。第一は「外分の状態」、第二は「内分の状態」、第三は「準備の状態」である。この三つの状態を経過する境域が中有界である。極善・極悪の霊魂はこの三つの状態を経ずに直ちに天界や地獄界へ行く。<ref>{{rm09|16|9902|霊の礎(一)}}:「人間の死後、高天原や根底の国へ行くに先だつて何人も経過すべき状態が三途ある。そして第一は外分の状態、第二は内分の状態、第三は準備の状態である。この状態を経過する境域は天の八衢(中有界)である」</ref>
* 中有界の景色は、山岳にある険しい谷に似た所が多い。地獄界へ通じる入り口は、守衛が厳しく守っており、簡単に出入りすることは出来ない。地獄界を探検したければ伊吹戸主神の許可が必要である。また天界へ通じる入り口も守衛が守っており、その入り口は天界に入る資格のある霊魂にしか見つけることは出来ない。<ref>{{rm|47|8|中有}}:「先づ地獄界の入口は如何なるものなりやを示すならば、一切の地獄界は此精霊界の方面に対しては硬く塞がつてゐるものである」「地獄の入口には守衛が厳しく立つてゐて、(略)地獄界を探険せむとせば、伊吹戸主神の許しを受けなくてはならない」「高天原へ上る道も亦四方が塞がり高天原の諸団体に通ずべき道は、容易に見当らないのである。僅かに一条の小さい道が通つてあつて守衛が之を守つてゐる。然しながら高天原へ上るべき資格のないものの目には到底見る事は出来ないものである」</ref>
* 中有界から再び現界に生まれる霊界もいる。それを「再生」と呼ぶ。<ref>{{kgm|267|誕生の種々}}</ref>

== 地獄界 ==
〔地獄界の実相は、王仁三郎はあまり詳しく説いていない〕

* 地獄界は「根の国」「底の国」の二つの境域に分かれている。
* 根の国も底の国もそれぞれ三段階に区画されている。
* 地獄界は悪(悪欲)と虚偽の世界であり、根の国は虚偽、底の国は悪(悪欲)の世界である。根の国は魔王が支配し、底の国はサタンが支配する。<ref>{{rm|56|1|神慮}}、第56巻巻頭の挿絵</ref> <ref>{{rm09|16|9902|霊の礎(一)}}:「人間に於ける高天原の情態とは真と善と美の相和合せし時であり、根底の国の情態とは邪悪と虚偽とが人間にありて合致せる時を云ふのである」</ref>
* 地獄界は、神示の宇宙で言う「大地」の中心にある「火球」のこと。<ref>{{rm|6|23|諸教同根}}:「大地の中心地点たる火球の世界、即ち根の国底の国に」</ref>
* 人体だと盲腸が地獄に該当する。<ref>{{kgm|223|盲腸は人体の根の国}}:「盲腸は人間の体の根の国にあたる、悪霊の集まる場所だ(略)盲腸炎といふ病気は、外に活動して居た悪霊が、神様のお光に遇ふて居たたまらないで盲腸に逃げ込んで、そこが満員になるから起るのである」</ref>

[[稚桜姫命]]と[[国祖]]は幽界(地獄界)に落ちた。
* {{rm|2|46|天則違反}}で、稚桜姫命とその夫・天稚彦は天則違反により、国祖の命令で幽界に落ちて幽庁の主宰者となった。<ref>{{rm|2|46|天則違反}}:国祖のセリフ「夫婦の戒律を破りたる極重罪悪神なり。天地の規則に照し、天稚彦、稚桜姫命は、すみやかに幽界にいたり、幽庁の主宰者たるべし」</ref> <ref>{{rm|2|48|律法の審議}}:「国治立命が、天道別命とともに天地の律法を制定され、その第一着手に、稚桜姫命は律法の犠牲となり、幽界に降りたまうた」</ref>
* {{rm|4|45|あゝ大変}}で国祖は隠退後、直ちに幽界に降り幽政を視ることとなった。<ref>{{rm|4|45|あゝ大変}}:「国祖はただちに幽界に降つて、幽政を視たまふこととなりぬ」</ref>

== 関連用語 ==
* [[霊魂]]
* [[本守護神]]
* [[正守護神]]
* [[副守護神]]
* [[大神人]]
* [[地獄の釜の一足飛び]]
* [[地獄の釜のコゲ起し]]
* [[地獄の釜の蓋]]
* [[赤白の守衛]]
* [[幽庁]]
* [[八衢の関所]]
* [[八衢人間]]
* [[インフエルノ]]:地獄界のこと。
* [[ブルガリオ]]:中有界のこと。
* [[八衢彦]]:{{rm|8|16|霊縛}}だけに登場する。
* [[天の八衢彦命]]:{{rm|24|6|アンボイナ島}}だけに登場する。
* [[スエデンボルグ]]

== 脚注 ==
<references/>

{{デフォルトソート:れいかい}}
[[Category:霊界]]

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