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本田親徳
,→王仁三郎と本田親徳の邂逅
=== 王仁三郎と本田親徳の邂逅 ===
[[王仁三郎]]は明治21年(1888年)18歳の時に、老ノ坂のは明治21年(1888年)18歳(数え年)の時に、老ノ坂の[[梨木峠]](なしのきとうげ)で本田親徳と出会った。また[[出口直]]も[[八木]]の辺りで本田親徳と出会っている。
{{Inyou|本田は一八八八(明治二一)年ころ、世界の高天原発見の目的で諸国を遊歴し、丹後の元伊勢、比沼真奈比にも参拝し、綾部にも足跡を残したといわれているが、この年三月中旬、喜三郎と丹波の梨木峠で対面し、神道家として国のために尽くすように、とさとしたと伝えられる。また、船井郡鳥羽村八木嶋<ref>旧・吉富村。現在の南丹市八木町の一部。</ref>の村はずれで開祖とも出会し、開祖の身上について話し、七人の女の中の随一であるといったという。|『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1434|稲荷講社と本田親徳}}」}}