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出口王仁三郎
,編集の要約なし
昭和23年(1948年)1月19日(旧12月9日)昇天。
== 出生 ==
* 次女 雪子(ゆきこ)
* 三女 君子(きみこ)
== 略年表 ==
(年齢は原則として満年齢)
{|
|明治4年(1871年)7月12日||上田喜三郎生誕
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|明治31年(1898年)3月1日(26歳)||[[高熊山修業]]
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|同年10月||綾部で[[出口直]]と会見
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|明治32年(1899年)7月(28歳)||大本に入る
|-
|明治33年(1900年)1月(28歳)||[[出口澄子]](16歳)と結婚
|-
|同年7月・8月||舞鶴沖の「[[冠島開き]]」「[[沓島開き]]」
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|明治34年(1901年)4月||[[元伊勢皇大神社]]で「[[元伊勢お水の御用]]」
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|同年7月||[[出雲大社]]で「[[出雲火の御用]]」
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|明治43年(1910年)12月(39歳)||正式に「出口王仁三郎」に改名
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|大正5年(1916年)6月25日(44歳)||瀬戸内海・高砂沖の「[[神島開き]]」
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|大正6年(1917年)1月||機関誌『[[神霊界]]』誌上で『[[大本神諭]]』の発表を開始
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|大正7年(1918年)11月6日||[[出口直]]、昇天(81歳)
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|大正9年(1920年)9月(49歳)||[[大正日日新聞社]]を買収
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|大正10年(1921年)2月12日(49歳)||[[第一次大本事件]]で入獄
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|同年6月17日||126日間の獄中生活を経て出獄
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|同年10月18日||[[霊界物語]]の著述を開始
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|大正11年~12年||[[バハイ教]]や[[道院]]、[[普天教]]など世界の諸宗教と提携
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|大正13年(1924年)2月13日(53歳)||綾部を発ってモンゴルへ(~11月1日)→「[[入蒙]]」
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|大正14年(1925年)5月20日(54歳)||北京で[[世界宗教連合会]]設立
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|同年6月9日||[[人類愛善会]]設立
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|昭和3年(1928年)3月3日(旧2月12日・満56歳7ヶ月)||[[みろく大祭]]
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|昭和7年(1932年)8月13日||[[大日本武道宣揚会]]設立(道主・[[植芝盛平]])
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|昭和8年(1933年)10月4日(旧8月15日)||霊界物語『[[天祥地瑞]]』編の著述開始
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|昭和9年(1934年)7月22日(63歳)||東京・九段の[[軍人会館]]で「[[昭和神聖会]]」設立
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|昭和10年(1935年)12月8日(64歳)||[[第二次大本事件]]で入獄
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|昭和17年(1942年)8月7日(71歳)||6年8ヶ月ぶりに出獄
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|昭和19年(1944年)12月29日(73歳)||[[耀盌]]を作り出す
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|昭和20年(1945年)9月8日(74歳)||大審院判決で有罪(後に恩赦)
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|昭和21年(1946年)2月7日(74歳)||大本を「[[愛善苑]]」として新発足
|-
|昭和23年(1948年)1月19日(76歳)||昇天
|}