差分

Jump to navigation Jump to search

聖師

1 バイト除去, 2021年5月5日 (水) 07:38
編集の要約なし
* [[大本年表]]の大正14年6月30日の項に「聖師を瑞霊真如聖師と称える」と記されている。
* 『[[大本七十年史]]』には次のように記されている。「六月三〇日には、大本および大本瑞祥会の第二次規約改正をおこなった。それによって、これまで教主輔ならびに大本総裁であった出口王仁三郎は、たんなる一教団大本の王仁三郎でなく、神命により「瑞霊真如聖師」として自由に世界的に活動することとなり、これ以後王仁三郎を「聖師」とよぶことになった」。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4442|機構の改革と人事}}」</ref>
* {{rm|nm|044|微燈の影}}では、大正13年(1924年)2月9日(旧正月5日)に[[隆光彦]]([[北村隆光]])や[[唐国別]]([[矢野祐太郎]])が[[日出雄]]([[王仁三郎]])に対して「聖師」(聖師様)と呼んでいる。しかしこの時点ではまだ聖師という尊称で呼んでいるはずがない。霊界物語[[入蒙記]]は『[[出口王仁三郎全集]] 第六巻』を原本にしており、この第4章「微燈の影」は大正14年8月15日(「聖師」呼称開始後)に口述されたものである。その前身である『[[王仁蒙古入記]]』は大正14年2月12日発行(「聖師」呼称開始前)で、該当箇所(「二 縦談横説」)は「聖師」ではなく「先生」になっている。『出口王仁三郎全集 第六巻』として新たに口述した際に、「先生」を「聖師」に改めたようである。
== 脚注 ==

案内メニュー