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諏訪の湖
,→現実の諏訪の湖
* [[竜宮島]]は豪州または四国に相応するが、どちらも中心部に目立つような大きな湖はない。
* 物理的な大きさは小さいが、愛媛県松山市南高井の「杖ノ淵(じょうのふち)」が「諏訪の湖水の移写」であると王仁三郎は述べている。<ref>『[[二名日記]]』「{{obc|B117500c24|5月28日 於二名洲支部}}」:「高井の神社田圃の中に数株の枝振り面白き老松に囲まれて静かに立ち、三方青山に包まれ、その風光又捨てがたし。爰に自動車を止どめて、'''諏訪の湖水の移写なる高井の杖の淵'''に杖を曳く。地底より至る所に清水滾々として湧出し、地底の細砂を水面に向つて空地もなく吹き上ぐる状珍らし。池中の小島には古き弁天の祠ありて賽者も相当にありと聞く。伝え曰ふ、空海上人は杖を衝き立てし穴より始めて湧き出でしものにして、上人が灌頂に用ひし霊水なりと。何は兎もあれ伝説は伝説としても不思議なる霊泉なり。小魚の数多浮遊せる状は旅情を慰して余りある奇観なり。先づ祠前に一行と共に神言の奏上を終り、帰途吾持てる台湾産の万両の杖にて池底を探りたる上、杖の先を洗滌しぬ。千古の神秘を蔵する所謂杖の淵は、是より杖洗ひの池と名付くることとは為しぬ」</ref>
** 『[[真如の光]]』昭和3年(1928年)6月25日号p75~77[[古高常徳]]「竜登の松と諏訪の湖」に、杖ノ淵について次のようなエピソードが記されている。──古高は大正14年(1925年)1月、四国に宣伝へ行った際、ふたな支部の[[山口恒彦]]宅に泊まった。その夜、王仁三郎が夢に現れ「お前の思っている諏訪の湖は山ではない、田の真ん中にあるぞ」と告げた。朝、山口にその話をすると「以前に聖師様が来られた時<ref>大正13年(1924年)1月に王仁三郎は伊予に行き霊界物語[[第69巻]]を口述している。</ref>、このあたりに諏訪の湖があると申されていた。山には大きな池があるが、田には池はない」と語った。古高は山口らと外に出て広い田の中を探してみると、田の中に小池があり、その池の中に神様を祀っていた。深さは1尺ほどで、池一面に清水が物凄いほど吹き上げていた。2月上旬に綾部に帰り王仁三郎に報告すると、王仁三郎は「その池が諏訪の湖の元(もと)であり、その松(山口宅にある高さ2尺5~6寸の雌松)が竜宮島の竜登の松、このあたりに諏訪の湖があると申されていた。しかし山には大きな池があるが、田には池はない」と語った。古高は山口らと外に出て広い田の中を探してみると、田の中に小池があり、その池の中に神様を祀っていた。深さは1尺ほどで、池一面に清水が物凄いほど吹き上げていた。2月上旬に綾部に帰り王仁三郎に報告すると、王仁三郎は「その池が諏訪の湖の元(もと)であり、その松(山口宅にある高さ2尺5~6寸の雌松)が竜宮島の竜登の松<ref>「竜宮島の竜登の松」とは何のことなのか不明。</ref>である」と教えた。昭和3年の四国巡教の際、王仁三郎はその池を訪れ神言を奏上した。
* 名前から長野県の[[諏訪湖]]を想起させるが、それとの関連は不明。