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金竜海
,→池の水
# 『[[聖師伝]]』には、第一期工事の最中に町から交渉があり、工事が終わった後に「水がまんまんとたたえられ」たと書いてあるので、大正3年(1914年)9月23日の第一期工事竣成の直後ということになる。<ref>『聖師伝』「{{obc|B100800c21|21 神苑の拡張と造営}}」</ref>
# 『[[大本年表]]』には大正3年11月14日から貯水作業が開始され11月16日にそれが完了したことが記されている<ref>大本年表の大正3年11月14日の項「11・14 本日より金竜海貯水のため、二六名の役員信者昼夜兼行の活動。(11・16了)」</ref>。『[[大本七十年史]]』には、「一一月一六日作業のおわると同時に、ちょうど町の通水路ができ、その最初の水が流入して池に満水した」<ref name="B195401c2122" />と書いてあり、大正3年(1914年)11月16日ということになる。
# 『[[大地の母]]』では、大正3年(1914年)11月20日に千家尊福が来綾した場面では、まだ水が入っていない』では、大正3年(1914年)11月20日に千家尊福が来綾した場面ではまだ水が入っていない<ref>『大地の母』「{{obc|B138910c05|金神の篭池}}」:「一行は王仁三郎の案内で、まだ水の入らぬ金龍海を見、未完成の神苑内を歩き回る」</ref>。大正4年(1915年)3月5日(五女・[[尚江]]の誕生)以降、5月7日([[大槻米]]の帰幽)の間に、水が入ったエピソードが書いてある<ref name="B138910c09" />。
# 『[[新月の光]]』には、池(金竜海)が「完全に出来あがるという三日ほど前になって、突然町の方から」水を通させて欲しいと頼みに来て、「三年越しの疑問の種であった金竜海の水の問題は解決された」と書いてあるので、大正5年(1916年)3月19日の第三期工事竣成の際に水が引かれたということになる。<ref>『新月の光』0014「{{obc|B107300c0014|金竜海の注ぎ水}}」</ref>
# ローマン・ドブジンスキー<ref>元ポーランド国営放送制作局長、元世界エスペラント協会副会長、現世界エスペラント協会名誉会長</ref>著、矢野裕巳・和訳『Rakontoj el Oomoto(大本物語)』<ref>[[天声社]]、2013年頃の刊行</ref>第17章<ref>[http://www.epa.jp/pg284.html EPA公式サイト内](2019/11/18閲覧)</ref>には「1917年11月16日、市の顧問達それぞれが、大本へお願いにやってきました。願いが受け入れられ、やがて、建設作業が始まりました。水のない池もまた、底から水が満ちた池になりました」とあるので、大正6年(1917年)11月16日以降に水が入ったことになる。