昭和二十年勅令第五百七十九号
昭和二十年勅令第五百七十九号(しょうわにじゅうねん ちょくれい だい579ごう)は、GHQの人権指令を実行するために発布された大赦令である。第二次大本事件は裁判で有罪が確定していたものの、この大赦令によって無罪となった。
概要
昭和20年(1945年)10月4日、GHQは日本政府に対し「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」[1]、俗に言う「人権指令」を発した。この指令は、思想・信仰・集会・言論の自由を制限していたあらゆる法令の廃止、内務大臣・特高警察職員ら約4千名の罷免・解雇、政治犯の即時釈放、特高警察の廃止などを命じていた。東久邇内閣はこの指令を実行できないとして翌5日に総辞職。9日に成立した幣原内閣は共産党員など政治犯約3千人を釈放(13日)したり、治安維持法など15の法律・法令を廃止(13日、15日等)した。[2] [3]
10月17日には勅令によって大赦令を公布して思想犯罪等の罪を赦免した。
大赦令
第一条 昭和二十年九月二日前左に掲ぐる罪を犯したる者は之を赦免す
一 刑法第七十四条及第七十六条の罪
(略)
二十 治安維持法違反の罪
(略)
三十七 新聞紙法違反の罪但し風俗に関するものを除く
三十八 出版法違反の罪但し風俗に関するものを除く
(略)【注】原文ではカナは片仮名。
第二次大本事件第二審は昭和17年(1942年)7月31日、大阪控訴院で判決が下された。出口王仁三郎ら9人が、不敬罪(刑法第74条)、出版法違反、新聞紙法違反で有罪となった。王仁三郎は不敬罪で懲役5年を言い渡された。
終戦後の昭和20年(1945年)9月8日、大審院で上告棄却の判決が下され、原審確定となった。つまり有罪が確定した。
しかし10月17日に大赦令が公布されたことにより罪は赦免され、第二次大本事件は解消した。これは、そもそも罪が無い、無罪ということである。
関連項目
- 昭和二年勅令第十一号:第一次大本事件解消となった大赦令。
- 大本事件
脚注
- ↑ 連合軍最高司令部発帝国政府に対する覚書(仮訳)(一九四五.一〇.四)政治的、公民的、宗教的自由に対する制限除去の件 - 国立公文書館デジタルアーカイブ
- ↑ 「用語解説|日本国憲法」内の「自由の指令」
- ↑ 昭和二十年勅令第五百四十二号『「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件』官報号外 昭和20年9月20日、NDLDL蔵書 PID:2962111/1/6 | 昭和二十年勅令五百六十八号『昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク国防保安法廃止等ニ関スル件』官報 昭和20年10月13日、NDLDL蔵書 PID:2962131/1/1 | 昭和二十年勅令五百七十五号『昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク治安維持法廃止等ノ件』官報 昭和20年10月15日、NDLDL蔵書 PID:2962132/1/2