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顕恩郷

2,412 バイト追加, 2021年1月17日 (日) 18:18
エピソード (3)
* 旧名:'''川北郷'''(せんほくきょう)<ref>「川北郷」は{{rm|5|7|三拍子}}に1回だけ出る。「今まではこの郷を川北郷といひしを、この度の事ありてより顕恩郷と名づけられた」</ref> 改名の理由は、親子夫婦が対面し神恩を感謝したことによる。下の「エピソード (1)」を参照。
* 「めぐみのさと」とルビが振られているケースが2ヶ所ある。<ref>{{rm|15|1|破羅門||a061}}:「エデンの園及び顕恩郷(めぐみのさと)を根拠としたりける」、{{rm|26|4|真心の花(三)||a161|a162}}:「メソポタミヤの楽園地 顕恩郷(めぐみのさと)を立ち出でて」</ref>
* 初版では「'''天恩郷'''」という名称だった。[[校正本]]で「顕恩郷」に修正された。 →参考:大本の聖地「[[天恩郷]]」
* 初出:{{rm|5|5|盲亀の浮木}}
* 東・北・西には山があり(北に高山、東西に低い山<ref>{{rm|5|20|猿蟹合戦}}</ref>)、蹄鉄のような地勢で、南には大河([[エデン河]])がある。麗しい花が咲き乱れ、珍しい果物が木々に実った楽園郷。衣食住の苦痛を少しも感じない天国浄土のようであった。<ref name="rm0505">{{rm|5|5|盲亀の浮木}}</ref>
[[半ダース宣伝使]]の6人が加勢に現れ、7人で顕恩城に入る。[[鬼雲彦]]夫妻が現れ、7人を歓待し、食事を振る舞い、16人の美女が舞曲を演じる。すると食事に毒が入っており、一緒に食べていた城の上役数十人はみな苦しみ出す。7人も苦しい振りをした。鬼雲彦が毒を入れておいたのだと高笑いする。その時、16人の美女たちが懐剣を抜いて鬼雲彦夫妻を取り囲んだ。彼女たち([[八人乙女]]とその侍女)は[[神素盞嗚大神]]の密使で、密かに鬼雲彦の身辺に仕え、時機を窺っていたのだ。鬼雲彦夫妻は高殿から堀を目がけて飛び込むと二匹の恐ろしい大蛇となって空中を泳ぐように姿を隠した。[[妙音菩薩]]が現れて、太玉命は本城に留まり、愛子姫と浅子姫は太玉命の身辺を保護し、他の宣伝使や女たちはエデン河を渡り[[イヅ河]]へ向かえと命じる。顕恩郷は三五教を奉じ、再び元の天国を形成した。〔{{rm|15|3|十六花}}~{{rms|15|4|神の栄光}}〕
 
[[天照大神]]が[[天の岩戸]]に隠れた後、[[太玉命]]は[[天教山]]に登った。不在を[[愛子姫]]・[[浅子姫]]が守っていたが、[[鬼雲彦]]が戻って来て顕恩郷を襲ったため、二人は顕恩郷から逃げた。〔{{rm|15|16|水上の影}}〕<ref>{{rm|15|16|水上の影}}:浅子姫のセリフ「天の太玉命、顕恩郷に現はれ給ひ、バラモン教の大棟梁鬼雲彦を神退ひにやらひ給ひ、妾は愛子姫様と共に、顕恩城を守護しまつる折しも、天照大神様、天の岩戸に隠れ給ひしより、太玉命は急遽、天教山に登らせ給ひ、その不在中、愛子姫様と妾は城内を守る折しも咫尺暗澹として昼夜を弁ぜず、荒振神は五月蝿の如く群がり起り、鬼雲彦は又もや現はれ来りて、暗に紛れて暴威を逞しうし、妾主従は生命も危き所、闇に紛れて城内を逃れ出で、エデンの河を生命からがら打渡り」</ref>
=== エピソード (4) ===
[[鬼雲彦]]がまだ顕恩郷を支配していた時のエピソード──。が顕恩郷を支配していた時(太玉命が来る以前だと思われる)のエピソード──。[[鬼熊別]]の部下の[[友彦]]は、鬼熊別の娘の[[小糸姫]]を手に入れて、自分が鬼熊別の後継者(副棟梁)になり、あわよくば鬼雲彦の地位(大棟梁)を奪おうという野心を持っていた。エデン河で酒宴が催された時、船から落ちた小糸姫を助けて、鬼熊別夫妻の信任を得る。小糸姫と親しい仲となるが、鬼熊別は友彦の下劣な品性と野卑な面貌は副棟梁に不適任と思い、二人の結婚を許さなかった。友彦と小糸姫は将来を案じて、顕恩郷を脱け出し、[[シロの国]]へ隠れてしまう。〔{{rm|24|1|粉骨砕身}}~{{rms|24|2|唖呍}}〕
== 38万年後 ==
=== エピソード (5) ===
言依別命の一行4人([[言依別命]]、[[玉彦]]、[[厳彦]]、[[楠彦]])は、[[松彦]]に案内され[[第一天国]]を旅する。湖の彼方に松が生い茂る一つの島があり、松彦は「あの島は38万年前、顕恩郷と称えられていた楽園だった。大地の傾斜が元に復してから、今は低地は残らず湖となり、高山の頂きのみ頭を現し、[[国治立大神]]の御安息場所となった」と教える。〔{{rm|15|21|帰顕}}〕
 
== 天恩郷 ==
顕恩郷は、当初は「'''天恩郷'''」という名称だった(→参考:大本の聖地「[[天恩郷]]」)。後に「顕恩郷」に修正された。
 
おそらく昭和9年以降の校正によって「顕恩郷」に修正されたものと思われる。調査した本のみを以下に列記する。
 
* [[第6巻]]・初版(大正11年5月10日):「天恩郷」
* [[第9巻]]・初版(大正11年7月5日):「天恩郷」
* [[第5巻]]・再版(昭和4年6月30日):「天恩郷」
* [[第63巻]]・再版(昭和6年3月30日):「天恩郷」
* [[第6巻]]・三版(昭和7年7月15日):「天恩郷」/[[校正本]](最初の校正は昭和9年4月、最終校正は昭和10年1~2月)で「顕恩郷」に修正。
* [[第15巻]]・三版(昭和7年10月1日):「天恩郷」/校正本(最終校正は昭和10年3月)で「顕恩郷」に修正。
* [[第16巻]]・三版(昭和7年10月20日):「天恩郷」/校正本(最終校正は昭和10年5月)で「顕恩郷」に修正。
* [[第24巻]]・三版(昭和8年7月30日):「天恩郷」/校正本(最初の校正は昭和9年4月、最終校正は昭和10年3月)で「顕恩郷」に修正。
* [[第5巻]]・四版(昭和9年8月15日):「顕恩郷」/第5巻の校正本(最終校正は昭和10年3月)の原本はこの四版であるが、最初から「顕恩郷」に修正済みの状態で出版されている。
== 脚注 ==
== 関連項目 ==
* [[メソポタミヤ]]
* [[橙園郷]]
* [[エデン河]]

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