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霊界物語

5,147 バイト追加, 2021年8月20日 (金) 06:06
方角
== 各巻の口述日と初版発行日 ==
 
次の表は、霊界物語各巻の口述日、口述日数、初版の発行日をまとめたものである。
 
* 口述日は、序文や総説などを除いた本文のみの口述日(各章の末尾に記してあるもの)である。過去に機関誌に掲載されたものや、講演録なども除いてある。(詳細は各巻の脚注を参照)
* 口述日が不明な章が9章ある。(第6巻第28章、第60巻第14~19章、第61巻第4~5章)
* [[入蒙記]]は、最初は霊界物語第67巻として口述された<ref>{{rm09|68|0001|序文}}:「霊界物語第六十七巻として蒙古入の梗概を口述し」</ref>。しかし霊界物語としては出版されず、[[上野公園]](王仁三郎の筆名)著『[[王仁蒙古入記]]』という単行本として大正14年(1925年)2月に刊行された。その後、大幅に改訂されたものが、昭和10年(1935年)4月に刊行された『[[出口王仁三郎全集]] 第六巻』に「入蒙記」という題名で収録された。戦後、霊界物語の山河草木に番外の特別篇として加えられた。
{| class="wikitable"
! 現在の<br>巻番号 !! 口述時の<br>巻番号 !! 口述日 !! 口述日数 !! 初版発行時の<br>巻番号 !! 初版発行日 !! 発行順序
|-
| [[第1巻|1]] || 1 || 大正10年10月18~26日<ref name="T101026" group="注A" /> <ref name="rm01memo" group="注A" /> || 9日間 <ref name="rm01nissu" group="注A" /> || 1 || 大正10年12月30日 || 1
|-
| [[第2巻|2]] || 2 || 大正10年10月26~11月4日、6日、8日、9日<ref name="T101026" group="注A" /> || 13日間 || 2 || 大正11年1月27日 || 2
| [[第5巻|5]] || 5 || 大正11年1月4~7日、9~14日 || 10日間 || 5 || 大正11年4月15日 || 5
|-
| [[第6巻|6]] || 6 || 大正11年1月16~18日、20~24日 <ref name="rm06memo" group="注A" /> || 8日間 || 6 || 大正11年5月10日 || 6
|-
| [[第7巻|7]] || 7 || 大正11年1月30~2月2日 || 4日間 || 7 || 大正11年5月31日 || 7
| [[第10巻|10]] || 10 || 大正11年2月19日、21~23日、25~27日 || 7日間 || 10 || 大正11年8月20日 || 11
|-
| [[第11巻|11]] || 11 || 大正11年2月28~3月1日、3日、4日 <ref name="rm11memo" group="注A" /> || 4日間 || 11 || 大正11年9月10日 || 12
|-
| [[第12巻|12]] || 12 || 大正11年3月6~7日、9~11日 <ref name="rm12memo" group="注A" /> || 5日間 || 12 || 大正11年9月30日 || 13
|-
| [[第13巻|13]] || 13 || 大正11年3月16~18日、20~21日 || 5日間 || 13 || 大正11年10月30日 || 14
| [[第14巻|14]] || 14 || 大正11年3月23~25日 || 3日間 || 14 || 大正11年11月15日 || 15
|-
| [[第15巻|15]] || 15 || 大正11年3月31~4月4日 <ref name="rm15memo" group="注A" /> || 5日間 || 15 || 大正11年12月5日 || 16
|-
| [[第16巻|16]] || 16 || 大正11年4月5日、14~16日 || 4日間 || 16 || 大正11年12月25日 || 17
| [[第59巻|59]] || 59 || 大正12年4月1~3日 || 3日間 || 59 || 大正14年7月8日 || 60
|-
| [[第60巻|60]] || 60 || 大正12年4月5日、7日、25~27日、5月15日<ref name="T120515" group="注A" /> <ref name="rm60memo" group="注A" /> <ref name="rm60memo2" group="注A" /> || 6日間 || 60 || 大正14年8月12日 || 61
|-
| [[第61巻|61]] || 61 || 大正12年5月1~3日、5~6日、8~9日<ref name="T120509" group="注A" /> <ref name="rm61memo" group="注A" /> || 7日間 || 61 || 大正14年10月16日 || 62
|-
| [[第62巻|62]] || 62 || 大正12年5月9~16日<ref name="T120509" group="注A" /> <ref name="T120515" group="注A" /> || 8日間 || 62 || 大正14年10月16日<ref name="rm62_64memo" group="注A" /> || 63
| [[第69巻|69]] || 66 || 大正13年1月19日、22~25日<ref name="T1301_12" group="注A" /> || 5日間 || 69 || 昭和2年10月26日 || 72
|-
| - || 67 || (大正13年11月?) (大正13年11月~12月上旬?)<ref name="niuki_memo" group="注A" /> || || 入記<ref name="niuki" group="注A" /> || 大正14年2月12日 || 53
|-
| [[第66巻|66]] || 68 || 大正13年12月15~17日 || 3日間 || 66 || 大正15年6月29日 || 69
| [[第70巻|70]] || 72 || 大正14年2月13日、8月23~25日 || 4日間 || 70 || 大正14年10月16日<ref name="rm70memo" group="注A" /> || 65
|-
| [[入蒙記]] || - || 大正14年8月15日~17日? <ref name="rmnmmemo" group="注A" /> || 3日間 3日間? || 全集<ref name="zensyuu6" group="注A" /> || 昭和10年4月30日 || 84
|-
| [[第64巻下|64下]] || 71 || 大正14年8月19~21日 || 3日間 || 71(発禁) || 大正14年11月7日 <ref name="rm71memo" group="注A" /> || 66
|-
| [[第71巻|71]] || 73 || 大正14年11月7日、大正15年1月31日、2月1日 || 3日間 || 71 || 昭和4年2月1日<ref name="rm71memo" group="注A" /> || 73
|-
| [[第72巻|72]] || 74 || 大正15年6月29~7月1日 || 3日間 || 72 || 昭和4年4月3日 || 74
【注A】
<references group="注A">
<ref name="rm01memo">これは第13章以降の口述日である。第12章までは『第1巻は第13章以降の口述日である。第12章までは『[[神霊界]]』同年2月号に掲載された「[[回顧録]]」を改訂したもの。」を改訂したもの。大正10年2月8日までに王仁三郎が執筆した(第12章の末尾に日付が記してある)。</ref><ref name="rm01nissu">{{rm09|22|0002|凡例}}には第1巻の「第十三章以後の」口述日数が「八日」と記されているが、「九日」の間違いであろう。</ref><ref name="rm11memo">[[第11巻]]第15~17章は大正9年1月の講演録。</ref><ref name="rm12memo">[[第12巻]]第28~30章は大正9年10月15日の講演録。</ref><ref name="rm15memo">[[第15巻]]第11章は大正9年1月の講演録。</ref>
<ref name="T101026">10月26日は第1巻と第2巻を口述している。</ref>
<ref name="T110824">8月24日は第32巻と第33巻を口述している。</ref>
<ref name="T120509">5月9日は第61巻と第62巻を口述している。</ref>
<ref name="T120515">5月15日は第60巻と第62巻を口述している。</ref>
<ref name="rm06memo">{{rm|6|28|身変定}}は口述日不明だが、章の大半を占める「言霊学釈歌」は、『神霊界』大正7年(1918年)7月1日号に掲載され、大正9年(1920年)5月21日号にも再掲された。</ref><ref name="rm48memo">版によって口述日が異なる章がある。第48巻は版によって口述日が異なる章がある。→「[[霊界物語第48巻の諸本相違点]]」</ref><ref name="rm60memo">第60巻第14~19章は口述日不明。</ref><ref name="rm60memo2">{{rm09|60|0002|総説||a007|a008}}の冒頭に「約九箇月の着手日数を要して、茲にいよいよ六十巻を口述編著しました」とあるが、これは口述日数の合計のことだと思われる。第1~60巻の口述日数を合計すると'''283日間'''(約9ヶ月半)になる。</ref><ref name="rm61memo">第61巻第4~5章は口述日不明。</ref><ref name="niuki_memo">『[[王仁蒙古入記]]』は口述ではなく、王仁三郎本人が書いたようであるが、具体的にいつ書いたのか日付は記されていない。{{rm09|68|0001|序文}}に「九十九日の獄舎生活を了へて、十一月一日漸く綾部に帰り、霊界物語第六十七巻として蒙古入の梗概を口述し、表面上野公園著として天下に発表する事とした」と記してある。12月15日から第68巻(現・第66巻)に口述が始まっているので、11月か12月上旬に書いたようである。</ref><ref name="rmnmmemo">入蒙記の日付は大正14年8月15日~17日の3日間しか記されていない。日付が記されていない章もあるが、『[[王仁蒙古入記]]』を書き換えて作り上げたものなので、3日間で書き上がったということか?</ref>
<ref name="rm62_64memo">第61巻、第62巻、第64巻(現第64巻上)の3巻はいずれも奥付は大正14年10月14日印刷、同16日発行である。だが第62巻については、『[[真如能光]]』大正15年(1926年)1月5日号「綾部だより」p46の(大正14年)12月31日の項に「霊界物語第六十二巻(山河草木丑の巻)出来」と記されている。また第64巻については『[[霊界物語資料篇]]』p307に大正13年4月5日発行と書いてある。</ref>
<ref name="rm65memo">第65巻の奥付は大正15年4月10日印刷、同14日発行だが、『[[霊界物語資料篇]]』p316には大正13年4月5日発行と書いてある。しかし『[[真如能光]]』大正15年(1926年)3月15日号「綾部だより」p48の3月9日の項に「霊界物語第二巻は目下再版中である、尚六十五巻も発行される事になりいづれも春季大祭(新四月十四日)迄には出来る予定です」と記されているので、『霊界物語資料篇』の記述は誤りであろう。</ref>
<ref name="zensyuu6">『[[出口王仁三郎全集]] 第六巻』</ref>
<ref name="rm70memo">第70巻…初版は大正14年(1925年)10月16日発行、二版は未調査、三版は昭和7年(1932年)12月31日発行。『真如能光』昭和3年(1928年)4月25日号「綾部だより」p31の4月17日の項に「霊界物語山河草木酉の巻(第七十巻)出来、納本す」と記されているが、これは二版のことか?。</ref>
<ref name="rm71memo">第71巻…11月6日午後2時に発行禁止と差押の命令が来た(『真如能光』第1号p86の告示、第2号p30による)。次の日には新たな第71巻となる第73巻の口述が開始されている。第71巻…奥付の発行日は大正14年(1925年)11月7日だが、その前日の11月6日午後2時に発行禁止と差し押さえの命令が来た(『真如能光』第1号p86の告示、第2号p30による)。だが次の日には新たな第71巻となる第73巻(現・第71巻)の口述が開始されている。</ref>
<ref name="T1301_12">口述日が1月から12月まで長期間空いているが、王仁三郎が蒙古に行ったためである。大正13年(1924年)2月に蒙古へ向けて旅立ち、7月に帰国、入監し、保釈されて帰綾したのは11月。</ref>
</references>
== 巻番号の変動 =口述日数 === 霊界物語の口述日数の合計は'''393日間'''である。 各巻の口述日数を単純に合計すると、397日間になるが、次の4日間が重複している、つまり2つの巻にまたがって口述した日が4日ある(大正10年10月26日、大正11年8月24日、大正12年5月9日、同15日)ため、それを引いて393日間になる。 各輯ごとの口述日数は次のようになる。 * 霊主体従(第1~12巻)…99日間* 如意宝珠(第13~24巻)…50日間* 海洋万里(第25~36巻)…46日間* 舎身活躍(第37~48巻)…47日間* 真善美愛(第49~60巻)…41日間* 山河草木(第61~72巻、入蒙記)…57日間* 天祥地瑞(第73~81巻)…54日間 1つの巻を最短で2日間(第46巻)、最長で15日間(第4巻)、平均約4.8日(398日÷83冊≒4.783)で口述した。(ただし一日の口述時間は一定ではないだろうから、日数が多くても口述時間が多いとは限らない)
* 2日間…1巻([[第66巻第46巻]]以降は、口述時の巻番号と出版時の巻番号に変動がある。これは第71巻(現・* 3日間…30巻* 4日間…18巻* 5日間…16巻* 6日間…6巻* 7日間…3巻* 8日間…3巻* 9日間…1巻* 10日間…1巻* 11日間…1巻* 13日間…1巻* 14日間…1巻* 15日間…1巻([[第64巻下第4巻]])が発禁になったため巻番号を再編成したと思われる。
また、奥付の日付と、実際の発行日に大きな隔たりがある巻がある。これは印刷等の出版作業が遅れ気味だったため、計画当初の組版のまま印刷したのだと考えれば理解できる。全体の8割近く(65巻)を2~5日で書いている。
{| class="wikitable"! 口述年月 !! 口述時の巻番号 !! 初版の巻番号 !! 初版発行の順序(丸数字)と年月 !! 現在の巻番号|- | 大正12年5月 || 第61巻 || 第61巻(子) || ②大正14年10月16日 || [[第61巻]]|- | 大正12年5月 || 第62巻 || 第62巻(丑) || ④大正15年1月(奥付は大正14年10月16日)<ref name="rm62memo" group="注A" /> || [[第62巻]]|- | 大正12年5月 || 第63巻 || 第63巻(寅) || ⑤大正15年2月 || [[第63巻]]|- | 大正12年7月 || 第64巻 || 第64巻(卯) || ②大正14年10月16日<ref name巻番号の変動 ="rm64memo" group="注A" /> || [[第64巻上]]|- | 大正12年7月 || 第65巻 || 第65巻(辰) || ⑥大正15年4月<ref name="rm65memo" group="注A" /> || [[第65巻]]|- | 大正13年1月<ref name="rm69memo" group="注A" /> || 第66巻 || 第69巻(申) || ⑩昭和2年10月 || [[第69巻]]|- | 大正13年12月 || 第67巻 || [[王仁蒙古入記]] || ①大正14年2月 || -|- | 大正13年12月 || 第68巻 || 第66巻(巳) || ⑦大正15年6月 || [[第66巻]]|- | 大正13年12月 || 第69巻 || 第67巻(午) || ⑧大正15年8月 || [[第67巻]]|- | 大正14年1月 || 第70巻 || 第68巻(未) || ⑨大正15年9月 || [[第68巻]]|- | 大正14年8月15日 || [[王仁蒙古入記]]を改訂して入蒙記 || - || ([[出口王仁三郎全集]](第6巻)に収録して昭和10年に発行) || [[入蒙記]]|- | 大正14年8月19~21日 || 第71巻 || 第71巻(戌) || ③大正14年11月7日【11月6日に発禁】<ref name="rm71memo" group="注A" /> || [[第64巻下]]|- | 大正14年8月23~25日 || 第72巻 || 第70巻(酉) || ⑪昭和3年4月(奥付は大正14年10月16日)<ref name="rm70memo" group="注A" /> || [[第70巻]]|- | 大正14年11月7日~15年2月 || 第73巻 || 第71巻(戌) || ⑫昭和4年2月 || [[第71巻]]|- | 大正15年6月 || 第74巻 || 第72巻(亥) || ⑬昭和4年4月 || [[第72巻]]|}
【注A】<references group="注A"><ref name="rm62memo">第62巻…『[[真如能光第66巻]]』大正15年(1926年)1月5日号「綾部だより」p46の12月31日の項に「霊界物語第六十二巻(山河草木丑の巻)出来」と記されている。</ref><ref name="rm64memo">第64巻(現・第64巻上)…奥付は第61巻と同じく大正14年10月16日だが、『以降は、口述時の巻番号と出版時の巻番号に変動がある。これは第71巻(現・[[霊界物語資料篇第64巻下]]』p307には大正13年4月5日発行と書いてある。</ref><ref name="rm65memo">第65巻…奥付は大正15年4月14日だが、『霊界物語資料篇』p316には大正13年4月5日発行と書いてある。しかし『真如能光』大正15年(1926年)3月15日号「綾部だより」p48の3月9日の項に「霊界物語第二巻は目下再版中である、尚六十五巻も発行される事になりいづれも春季大祭(新四月十四日)迄には出来る予定です」と記されているので、『霊界物語資料篇』の記述は誤記である。</ref><ref name="rm70memo">第70巻…『真如能光』昭和3年(1928年)4月25日号「綾部だより」p31の4月17日の項に「霊界物語山河草木酉の巻(第七十巻)出来、納本す」と記されている。</ref><ref name="rm71memo">第71巻…11月6日午後2時に発行禁止と差押の命令が来た(『真如能光』第1号p86の告示、第2号p30による)。次の日には新たな第71巻となる第73巻の口述が開始されている。</ref><ref name="rm69memo">1月から12月まで長期間空いているが、蒙古に行ったためである。大正13年(1924年)2月に蒙古へ向けて旅立ち、7月に帰国、入監し、保釈されて帰綾したのは11月。</ref></references>)が発禁になったため巻番号を再編成したと思われる。
=== 通巻章番号の変動 ===
* 入蒙記
* 第73~81巻(天祥地瑞)
 
=== 時間経過 ===
霊界物語には、ストーリー上の年月日の情報はあまり記されていない。そのため、あるエピソードからあるエピソードまで、どのくらいの時間が経っているのか、よく分からない。判明している時間経過の情報のいくつかを以下に記す。
 
* [[第10巻]]の黄泉比良坂の戦い →「[[黄泉比良坂の戦い#時間経過]]」
* [[第7巻]]で[[日の出神]]が[[大台ケ原]]の魔神を放逐したエピソードから、[[第23巻]]で[[常楠]]・[[木山彦]]ら2組の夫婦が生き別れた息子4人と再会するエピソードまでが、'''22年間'''。
** {{rm|23|7|知らぬが仏}}の、[[虻公]]のセリフ「私は[[熊野の森]]に捨てられて居つたのを、或山賊の親分が見つけて、私を[[大台ケ原]]の山砦に伴れ帰り、立派に成人させて呉れました。私が十八才になつた時、三五教の宣伝使がやつて来て、岩窟退治を致した時に生命からがら其処を脱け出し」から、虻公が18歳の時に第7巻のエピソードが起きたことが分かる。また、[[お久]]のセリフ「ハイもう彼是四十年にもなるだらう」から、お久が虻公を熊野の森に捨てたのが、40年前だということが分かる。したがって40-18=22で、第7巻のエピソードは22年前だということが分かる。
* 第22巻で[[黒姫]]一行が玉探しのために[[錦の宮]]を旅立ってから({{rm|22|4|玉探志}})、第24巻で[[小糸姫]]([[黄竜姫]])が[[竜宮島]]の女王になるまで({{rm|24|4|一島の女王}})が'''2年間'''。<ref>{{rm|24|4|一島の女王}}:[[クロンバー]]([[黒姫]])のセリフ「大切なる玉の紛失せし為め其所在を探ねむと、竜宮の乙姫様の生宮として今年で殆ど満'''二年'''、残る隈なく探せども今に所在は分らず」</ref>
* [[シロの島]]の住民[[チャンキー]]・[[モンキー]]が、[[小糸姫]]を舟に乗せて[[竜宮島]]に渡る途中、暴風に遭って難破してから({{rm|24|4|一島の女王}})、[[ニュージーランド]]の手前の岩山で、[[高姫]]・[[蜈蚣姫]]らと出会うまで({{rm|24|9|神助の船}})が'''3年間'''。<ref>{{rm|24|9|神助の船}}:[[チャンキー]]のセリフ「'''三年前'''に[[鬼熊別]]の御娘[[小糸姫]]様を御送り申して、竜宮の一つ島へ渡る途中暴風に出会ひ、船を打割り、辛うじて此島に駆けあがり」</ref>
 
=== 方角 ===
霊界物語は現代の地名が使われている場合が多々あるが、方角を示す言葉を調べると、現代の地理とは位置関係が異なっている場合がある。その例を以下に記す。
* [[ニュージーランド]]の近辺<ref>{{rm|24|4|一島の女王}}:船頭のセリフ「大方ニユージランドの近辺だと思ひます」</ref>で[[小糸姫]]を救助して[[竜宮島]](オーストラリア)へ向かう[[五十子姫]]たちの舟は「'''西南'''(にしみなみ)」へ進んでいるが<ref>{{rm|24|4|一島の女王}}:「風に送られ'''西南'''(にしみなみ) 竜宮島を指して行く」</ref>、現代のニュージーランドから見てオーストラリアは'''西'''または'''西北'''の方角にあり、決して南ではない。<ref>そもそもシロの島(セイロン島)から逃げ出した小糸姫の舟がわずか一日程度でニュージーランドの近辺に到着して遭難したり、顕恩郷から舟で流された五十子姫らがニュージーランドの近辺で小糸姫を救助したりするのは(ニュージーランドに着く前に竜宮島に着くのではないか?)、現代の地理とは位置関係が異なる。</ref>
== 脚注 ==

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