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霊界物語

21,627 バイト追加, 2021年8月20日 (金) 06:06
方角
* 大正10年(1921年)から15年にかけて72巻が、昭和8年(1933年)から9年にかけて9巻(天祥地瑞)が書かれた。
* 第64巻が上・下の2冊に分かれており、他に番外編として「入蒙記」が1冊入っているため、巻数としては第81巻までしかないが、冊数は83冊あるため「81巻83冊」と呼ばれる。
* 当初は全部で120巻になる予定だった<ref>{{rm09|1|9901|附記}}</ref>。また最初は神命で360字詰め原稿用紙400枚を1巻とし、36巻を1集として48集つまり1728巻書けと命じられたが、それではあまりにも長すぎるので神様にお願いして120巻にしてもらった。また最初は、360字詰め原稿用紙400枚を1巻とし、36巻を1集として48集つまり1728巻書けと神に命じられたが、それではあまりにも長すぎるので神様にお願いして120巻にしてもらった<ref>{{rm09|37|0001|序}}</ref>。
* 王仁三郎は口述開始の時に筆録者の一人の桜井重雄に「三界通覧」という書名にしようかと言っていたが、最終的には「霊界物語」になった<ref>木庭次守・編『霊界物語大辞典 総索引その1』p42:「出口聖師は口述開始の時に筆録者の一人の桜井重雄氏に「三界通覧」としょうかといわれていたが、「霊界物語」とさだめられた」</ref>。
* 霊界物語の「霊界」とは「霊妙な世界」の意味であり、顕界(現界)・幽界(地獄界)・神界(天界)の三界の総称である<ref>『水鏡』所収「霊界と神霊界」</ref>。
* 「ただ私は神示のまま、工作して口述するばかりであります」〔{{rm09|5|0001|序文}}〕
== 著述の動機 ==
山河草木の後は「[[千山万水]](せんざんばんすい)」という輯題になる予定で第73巻と第74巻が口述された<ref>{{rm09|71|0001|序文}}:「山河草木の続篇として、更に十二巻を'''千山万水'''と命名して口述することに致します」</ref>。しかし第67巻が『[[王仁蒙古入記]]』と題して出版され、第71巻(現・[[第64巻下]])が発禁となり2巻減ったため、第73・74巻は第71・72巻に改められ山河草木の中に収まった。
== 巻番号の変動 巻篇章 ==
霊界物語の各巻は、数個の「篇」に分かれ、その篇はさらに数個の「章」に分かれている。 篇も章もそれぞれ番号と題名が付いているが、章の番号は篇ごとに第一章から始まるのではなく、巻を通した連番になっている。また、章題の後ろには第一巻から累計した章番号(仮に「通巻章番号」と呼ぶことにする)が付いている。 当初は「巻」「篇」「章」ではなく、「篇」「章」「節」と呼ばれていた。第25巻(大正12年5月発行)から「巻」「篇」「章」に改称された。<ref>[[第66巻第25巻]]以降は、口述時の巻番号と出版時の巻番号に変動がある。これは第71巻(現・[[第64巻下]])が発禁になったため巻番号を再編成したと思われる。初版の凡例:「これまで、篇、章、節に区分してありましたが、本巻より巻、篇、章の名称を以て区分しました。」</ref> == 各巻の口述日と初版発行日 == 次の表は、霊界物語各巻の口述日、口述日数、初版の発行日をまとめたものである。
また、奥付の日付と、実際の発行日に大きな隔たりがある巻がある。これは印刷等の出版作業が遅れ気味だったため、計画当初の組版のまま印刷したのだと考えれば理解できる。* 口述日は、序文や総説などを除いた本文のみの口述日(各章の末尾に記してあるもの)である。過去に機関誌に掲載されたものや、講演録なども除いてある。(詳細は各巻の脚注を参照)* 口述日が不明な章が9章ある。(第6巻第28章、第60巻第14~19章、第61巻第4~5章)* [[入蒙記]]は、最初は霊界物語第67巻として口述された<ref>{{rm09|68|0001|序文}}:「霊界物語第六十七巻として蒙古入の梗概を口述し」</ref>。しかし霊界物語としては出版されず、[[上野公園]](王仁三郎の筆名)著『[[王仁蒙古入記]]』という単行本として大正14年(1925年)2月に刊行された。その後、大幅に改訂されたものが、昭和10年(1935年)4月に刊行された『[[出口王仁三郎全集]] 第六巻』に「入蒙記」という題名で収録された。戦後、霊界物語の山河草木に番外の特別篇として加えられた。
{| class="wikitable"
! 口述年月 現在の<br>巻番号 !! 口述時の<br>巻番号 !! 口述日 !! 口述時の巻番号 → 口述日数 !! 初版の巻番号 初版発行時の<br>巻番号 !! 初版発行の順序(丸数字)と年月 初版発行日 !! 現在の巻番号発行順序|- | 大正12年5月 [[第1巻|1]] | 第61巻 → |1 | 第61巻(子) |大正10年10月18~26日<ref name="T101026" group="注A" /> <ref name="rm01memo" group="注A" /> || 9日間<ref name="rm01nissu" group="注A" /> || 1 | ②大正14年10月16日 |大正10年12月30日 || 1|-| [[第2巻|2]] || 2 || 大正10年10月26~11月4日、6日、8日、9日<ref name="T101026" group="注A" /> || 13日間 || 2 || 大正11年1月27日 || 2|-| [[第3巻|3]] || 3 || 大正10年11月13~18日、20日、28日、29日、12月6~10日 || 14日間 || 3 || 大正11年3月3日 || 3|-| [[第61巻第4巻|4]]|| 4 || 大正10年12月15~29日 || 15日間 || 4 || 大正11年3月30日 || 4|- | 大正12年5月 [[第5巻|5]] || 5 || 大正11年1月4~7日、9~14日 || 10日間 || 5 || 大正11年4月15日 || 5|-|[[第6巻| 第62巻 → 6]] || 第62巻(丑) 6 || ④大正15年1月(奥付は大正14年10月16日)大正11年1月16~18日、20~24日<ref name="rm62memorm06memo" group="注A" /> || 8日間 || 6 || 大正11年5月10日 || 6|-| [[第7巻|7]] || 7 || 大正11年1月30~2月2日 || 4日間 || 7 || 大正11年5月31日 || 7|-| [[第8巻|8]] || 8 || 大正11年2月6~10日 || 5日間 || 8 || 大正11年6月15日 || 8|-| [[第9巻|9]] || 9 || 大正11年2月12~17日 || 6日間 || 9 || 大正11年7月5日 || 9|-| [[第62巻第10巻|10]] || 10 || 大正11年2月19日、21~23日、25~27日 || 7日間 || 10 || 大正11年8月20日 || 11|-| [[第11巻|11]]|| 11 || 大正11年2月28~3月1日、3日、4日<ref name="rm11memo" group="注A" /> || 4日間 || 11 || 大正11年9月10日 || 12|- | 大正12年5月 [[第12巻|12]] || 12 || 大正11年3月6~7日、9~11日<ref name="rm12memo" group="注A" /> ||5日間 | 第63巻 → |12 | 第63巻(寅) |大正11年9月30日 | ⑤大正15年2月 |13|-| [[第63巻第13巻|13]]|| 13 || 大正11年3月16~18日、20~21日 || 5日間 || 13 || 大正11年10月30日 || 14|- | 大正12年7月 [[第14巻|14]] || 14 || 大正11年3月23~25日 || 3日間 || 14 || 大正11年11月15日 || 15|-|[[第15巻| 第64巻 → 15]] || 第64巻(卯) 15 || ②大正14年10月16日大正11年3月31~4月4日<ref name="rm64memorm15memo" group="注A" /> || 5日間 || 15 || 大正11年12月5日 || 16|-| [[第16巻|16]] || 16 || 大正11年4月5日、14~16日 || 4日間 || 16 || 大正11年12月25日 || 17|-| [[第17巻|17]] || 17 || 大正11年4月21~23日 || 3日間 || 17 || 大正12年1月10日 || 18|-| [[第18巻|18]] || 18 || 大正11年4月24~26日、28日 || 4日間 || 18 || 大正12年2月10日 || 19|-| [[第19巻|19]] || 19 || 大正11年5月6~10日 || 5日間 || 19 || 大正12年2月28日 || 20|-| [[第20巻|20]] || 20 || 大正11年5月12~14日 || 3日間 || 20 || 大正12年3月15日 || 21|-| [[第21巻|21]] || 21 || 大正11年5月16~17日、19~21日 || 5日間 || 21 || 大正12年4月5日 || 22|-| [[第64巻上第22巻|22]] || 22 || 大正11年5月24~28日 || 5日間 || 22 || 大正11年7月30日 || 10|-| [[第23巻|23]] || 23 || 大正11年6月10~13日 || 4日間 || 23 || 大正12年4月19日 || 23|-| [[第24巻|24]] || 24 || 大正11年6月14日、7月2~3日、5日 || 4日間 || 24 || 大正12年5月10日 || 24|-| [[第25巻|25]] || 25 || 大正11年7月7~8日、10~12日 || 5日間 || 25 || 大正12年5月25日 || 25|-| [[第26巻|26]] || 26 || 大正11年7月17~20日 || 4日間 || 26 || 大正12年6月5日 || 26|-| [[第27巻|27]] || 27 || 大正11年7月22~25日、27~28日 || 6日間 || 27 || 大正12年6月20日 || 27|-| [[第28巻|28]] || 28 || 大正11年8月6日、8~10日 || 4日間 || 28 || 大正12年8月10日 || 28|-| [[第29巻|29]] || 29 || 大正11年8月11~13日 || 3日間 || 29 || 大正12年9月3日 || 29|-| [[第30巻|30]]|| 30 || 大正11年8月14~16日 || 3日間 || 30 || 大正12年9月15日 || 30|- | 大正12年7月 [[第31巻|31]] || 31 || 大正11年8月18~20日 || 3日間 || 31 || 大正12年9月15日 || 31|-|[[第32巻| 第65巻 → 32]] || 第65巻(辰) 32 || ⑥大正15年4月大正11年8月22~24日<ref name="rm65memoT110824" group="注A" /> || 3日間 || 32 || 大正12年10月15日 || 32|-| [[第33巻|33]] || 33 || 大正11年8月24日<ref name="T110824" group="注A" /> 、26~29日、9月19日 || 6日間 || 33 || 大正12年11月10日 || 33|-| [[第34巻|34]] || 34 || 大正11年9月12~14日 || 3日間 || 34 || 大正12年12月10日 || 34|-| [[第35巻|35]] || 35 || 大正11年9月15~17日 || 3日間 || 35 || 大正12年12月25日 || 35|-| [[第36巻|36]] || 36 || 大正11年9月21~24日 || 4日間 || 36 || 大正12年12月30日 || 36|-| [[第37巻|37]] || 37 || 大正11年10月8~12日 || 5日間 || 37 || 大正13年3月3日 || 37|-| [[第38巻|38]] || 38 || 大正11年10月14~19日 || 6日間 || 38 || 大正13年4月3日 || 38|-| [[第39巻|39]] || 39 || 大正11年10月21~22日、27~29日 || 5日間 || 39 || 大正13年5月5日 || 39|-| [[第40巻|40]] || 40 || 大正11年11月1~5日 || 5日間 || 40 || 大正13年5月25日 || 40|-| [[第41巻|41]] || 41 || 大正11年11月10~12日 || 3日間 || 41 || 大正13年6月15日 || 41|-| [[第42巻|42]] || 42 || 大正11年11月14~17日、24~25日 || 6日間 || 42 || 大正13年7月1日 || 42|-| [[第43巻|43]] || 43 || 大正11年11月26~28日 || 3日間 || 43 || 大正13年7月25日 || 43|-| [[第65巻第44巻|44]] || 44 || 大正11年12月7~9日 || 3日間 || 44 || 大正13年8月18日 || 44|-| [[第45巻|45]] || 45 || 大正11年12月11~13日 || 3日間 || 45 || 大正13年9月12日 || 45|-| [[第46巻|46]] || 46 || 大正11年12月15~16日 || 2日間 || 46 || 大正13年9月25日 || 46|-| [[第47巻|47]]|| 47 || 大正12年1月8~10日 || 3日間 || 47 || 大正13年10月6日 || 47|- | 大正13年1月[[第48巻|48]] || 48 || 大正12年1月12~14日<ref name="rm69memorm48memo" group="注A" /> || 第66巻 → 3日間 || 第69巻(申) 48 || ⑩昭和2年10月 大正13年10月25日 || 48|-| [[第69巻第49巻|49]] || 49 || 大正12年1月16日、18~19日 || 3日間 || 49 || 大正13年11月5日 || 49|-| [[第50巻|50]] || 50 || 大正12年1月20~21日、23日 || 3日間 || 50 || 大正13年12月7日 || 50|-| [[第51巻|51]]|| 51 || 大正12年1月25~27日 || 3日間 || 51 || 大正13年12月29日 || 51|- | 大正13年12月 [[第52巻|52]] || 52 || 大正12年1月29~30日、2月9~10日 || 4日間 || 52 || 大正14年1月28日 || 第67巻 → 52|-| [[王仁蒙古入記第53巻|53]] || ①大正14年2月 53 || 大正12年2月12~14日 ||3日間 || 53 || 大正14年3月8日 || 54| -| [[第54巻|54]] || 54 || 大正12年2月21~23日 || 3日間 || 54 || 大正14年3月26日 || 55|- | 大正13年12月 [[第55巻|55]] || 第68巻 → 55 || 第66巻(巳) 大正12年2月26日、3月3~5日 || ⑦大正15年6月 4日間 || 55 || 大正14年3月30日 || 56|-| [[第66巻第56巻|56]] || 56 || 大正12年3月14日、16~17日 || 3日間 || 56 || 大正14年5月3日 || 57|-| [[第57巻|57]]|| 57 || 大正12年3月24~26日 || 3日間 || 57 || 大正14年5月24日 || 58|- | 大正13年12月 [[第58巻|58]] || 58 || 大正12年3月28~30日 || 3日間 || 第69巻 → 58 || 第67巻(午) 大正14年6月15日 || ⑧大正15年8月 59|-| [[第67巻第59巻|59]]|| 59 || 大正12年4月1~3日 || 3日間 || 59 || 大正14年7月8日 || 60|- | 大正14年1月 [[第60巻|60]] || 60 || 大正12年4月5日、7日、25~27日、5月15日<ref name="T120515" group="注A" /> <ref name="rm60memo" group="注A" /> <ref name="rm60memo2" group="注A" /> ||6日間 | 第70巻 → |60 | 第68巻(未) |大正14年8月12日 | ⑨大正15年9月 |61|-| [[第68巻第61巻|61]]|| 61 || 大正12年5月1~3日、5~6日、8~9日<ref name="T120509" group="注A" /> <ref name="rm61memo" group="注A" /> || 7日間 || 61 || 大正14年10月16日 || 62|- | 大正14年8月15日 [[第62巻|62]] || 62 || 大正12年5月9~16日<ref name="T120509" group="注A" /> <ref name="T120515" group="注A" /> || 8日間 || 62 || 大正14年10月16日<ref name="rm62_64memo" group="注A" /> ||63|-| [[王仁蒙古入記第63巻|63]]を改訂して入蒙記 || 63 || 大正12年5月18日、24~25日、29日 || 4日間 || 63 || 大正15年2月3日 || 67| - | [[第64巻上|64上]] || 64 || 大正12年7月10~13日 || 4日間 || 64 || 大正14年10月16日<ref name="rm62_64memo" group="注A" /> || 64|-| [[出口王仁三郎全集第65巻|65]](第6巻)に収録して昭和10年に発行) || 65 || 大正12年7月15~18日 || 4日間 || 65 || 大正15年4月14日<ref name="rm65memo" group="注A" /> || 68|-| [[入蒙記第69巻|69]]|| 66 || 大正13年1月19日、22~25日<ref name="T1301_12" group="注A" /> || 5日間 || 69 || 昭和2年10月26日 || 72|- | 大正14年8月19~21日 - || 67 || 第71巻 → (大正13年11月~12月上旬?)<ref name="niuki_memo" group="注A" /> || 第71巻(戌) || ③大正14年11月7日【11月6日に発禁】入記<ref name="rm71memoniuki" group="注A" /> || 大正14年2月12日 || 53|-| [[第64巻下第66巻|66]] || 68 || 大正13年12月15~17日 || 3日間 || 66 || 大正15年6月29日 || 69|-| [[第67巻|67]] || 69 || 大正13年12月19日、27~29日 || 4日間 || 67 || 大正15年8月19日 || 70|-| [[第68巻|68]]|| 70 || 大正14年1月28~30日 || 3日間 || 68 || 大正15年9月30日 || 71|- | 大正14年8月23~25日 [[第70巻|70]] || 72 || 大正14年2月13日、8月23~25日 || 第72巻 → 4日間 || 第70巻(酉) 70 || ⑪昭和3年4月(奥付は大正14年10月16日)大正14年10月16日<ref name="rm70memo" group="注A" /> || 65|-| [[第70巻入蒙記]]|| - || 大正14年8月15日~17日?<ref name="rmnmmemo" group="注A" /> || 3日間? || 全集<ref name="zensyuu6" group="注A" /> || 昭和10年4月30日 || 84|- | 大正14年11月7日~15年2月 [[第64巻下|64下]] || 71 || 大正14年8月19~21日 || 第73巻 → 3日間 || 第71巻(戌) 71(発禁) || ⑫昭和4年2月 大正14年11月7日<ref name="rm71memo" group="注A" /> || 66|-| [[第71巻|71]] || 73 || 大正14年11月7日、大正15年1月31日、2月1日 || 3日間 || 71 || 昭和4年2月1日 || 73|-| [[第72巻|72]] || 74 || 大正15年6月29~7月1日 || 3日間 || 72 || 昭和4年4月3日 || 74|-| [[第73巻|73]] || 73 || 昭和8年10月4~6日、9~13日、16~18日 || 11日間 || 73 || 昭和8年11月22日 || 75|-| [[第74巻|74]] || 74 || 昭和8年10月20~21日、23~24日、27日、29~31日 || 8日間 || 74 || 昭和9年1月5日 || 76|-| [[第75巻|75]] || 75 || 昭和8年11月2~3日、17日、26~27日、29~30日 || 7日間 || 75 || 昭和9年2月3日 || 77|-| [[第76巻|76]] || 76 || 昭和8年12月5~8日 || 4日間 || 76 || 昭和9年3月23日 || 78|-| [[第77巻|77]] || 77 || 昭和8年12月12~13日、15~17日 || 5日間 || 77 || 昭和9年3月30日 || 79|-| [[第78巻|78]] || 78 || 昭和8年12月20~23日、25日 || 5日間 || 78 || 昭和9年5月5日 || 80|-| [[第79巻|79]]|| 79 || 昭和9年7月16~20日 || 5日間 || 79 || 昭和9年10月25日 || 81|- | 大正15年6月 [[第80巻|80]] || 80 || 第74巻 → 昭和9年7月26~28日、30~31日 || 第72巻(亥) 5日間 || ⑬昭和4年4月 80 || 昭和9年12月5日 || 82|-| [[第72巻第81巻|81]]|| 81 || 昭和9年8月4~5日、14~15日 || 4日間 || 81 || 昭和9年12月30日 || 83|-| colspan="3" | || 393日間 || colspan="3" |
|}
 
【注A】
<references group="注A">
<ref name="rm62memorm01memo">第62巻…『第1巻は第13章以降の口述日である。第12章までは『[[神霊界]]』同年2月号に掲載された「[[回顧録]]」を改訂したもの。大正10年2月8日までに王仁三郎が執筆した(第12章の末尾に日付が記してある)。</ref><ref name="rm01nissu">{{rm09|22|0002|凡例}}には第1巻の「第十三章以後の」口述日数が「八日」と記されているが、「九日」の間違いであろう。</ref><ref name="rm11memo">[[第11巻]]第15~17章は大正9年1月の講演録。</ref><ref name="rm12memo">[[第12巻]]第28~30章は大正9年10月15日の講演録。</ref><ref name="rm15memo">[[第15巻]]第11章は大正9年1月の講演録。</ref><ref name="T101026">10月26日は第1巻と第2巻を口述している。</ref><ref name="T110824">8月24日は第32巻と第33巻を口述している。</ref><ref name="T120509">5月9日は第61巻と第62巻を口述している。</ref><ref name="T120515">5月15日は第60巻と第62巻を口述している。</ref><ref name="rm06memo">{{rm|6|28|身変定}}は口述日不明だが、章の大半を占める「言霊学釈歌」は、『神霊界』大正7年(1918年)7月1日号に掲載され、大正9年(1920年)5月21日号にも再掲された。</ref><ref name="rm48memo">第48巻は版によって口述日が異なる章がある。→「[[霊界物語第48巻の諸本相違点]]」</ref><ref name="rm60memo">第60巻第14~19章は口述日不明。</ref><ref name="rm60memo2">{{rm09|60|0002|総説||a007|a008}}の冒頭に「約九箇月の着手日数を要して、茲にいよいよ六十巻を口述編著しました」とあるが、これは口述日数の合計のことだと思われる。第1~60巻の口述日数を合計すると'''283日間'''(約9ヶ月半)になる。</ref><ref name="rm61memo">第61巻第4~5章は口述日不明。</ref><ref name="niuki_memo">『[[王仁蒙古入記]]』は口述ではなく、王仁三郎本人が書いたようであるが、具体的にいつ書いたのか日付は記されていない。{{rm09|68|0001|序文}}に「九十九日の獄舎生活を了へて、十一月一日漸く綾部に帰り、霊界物語第六十七巻として蒙古入の梗概を口述し、表面上野公園著として天下に発表する事とした」と記してある。12月15日から第68巻(現・第66巻)に口述が始まっているので、11月か12月上旬に書いたようである。</ref><ref name="rmnmmemo">入蒙記の日付は大正14年8月15日~17日の3日間しか記されていない。日付が記されていない章もあるが、『[[王仁蒙古入記]]』を書き換えて作り上げたものなので、3日間で書き上がったということか?</ref><ref name="rm62_64memo">第61巻、第62巻、第64巻(現第64巻上)の3巻はいずれも奥付は大正14年10月14日印刷、同16日発行である。だが第62巻については、『[[真如能光]]』大正15年(1926年)1月5日号「綾部だより」p46の12月31日の項に「霊界物語第六十二巻(山河草木丑の巻)出来」と記されている。』大正15年(1926年)1月5日号「綾部だより」p46の(大正14年)12月31日の項に「霊界物語第六十二巻(山河草木丑の巻)出来」と記されている。また第64巻については『[[霊界物語資料篇]]』p307に大正13年4月5日発行と書いてある。</ref><ref name="rm64memorm65memo">第64巻(現・第64巻上)…奥付は第61巻と同じく大正14年10月16日だが、『第65巻の奥付は大正15年4月10日印刷、同14日発行だが、『[[霊界物語資料篇]]』p307には大正13年4月5日発行と書いてある。』p316には大正13年4月5日発行と書いてある。しかし『[[真如能光]]』大正15年(1926年)3月15日号「綾部だより」p48の3月9日の項に「霊界物語第二巻は目下再版中である、尚六十五巻も発行される事になりいづれも春季大祭(新四月十四日)迄には出来る予定です」と記されているので、『霊界物語資料篇』の記述は誤りであろう。</ref><ref name="niuki">『[[王仁蒙古入記]]』</ref><ref name="rm65memozensyuu6">第65巻…奥付は大正15年4月14日だが、『霊界物語資料篇』p316には大正13年4月5日発行と書いてある。しかし『真如能光』大正15年(1926年)3月15日号「綾部だより」p48の3月9日の項に「霊界物語第二巻は目下再版中である、尚六十五巻も発行される事になりいづれも春季大祭(新四月十四日)迄には出来る予定です」と記されているので、『霊界物語資料篇』の記述は誤記である。『[[出口王仁三郎全集]] 第六巻』</ref><ref name="rm70memo">第70巻…『真如能光』昭和3年(1928年)4月25日号「綾部だより」p31の4月17日の項に「霊界物語山河草木酉の巻(第七十巻)出来、納本す」と記されている。第70巻…初版は大正14年(1925年)10月16日発行、二版は未調査、三版は昭和7年(1932年)12月31日発行。『真如能光』昭和3年(1928年)4月25日号「綾部だより」p31の4月17日の項に「霊界物語山河草木酉の巻(第七十巻)出来、納本す」と記されているが、これは二版のことか?。</ref><ref name="rm71memo">第71巻…11月6日午後2時に発行禁止と差押の命令が来た(『真如能光』第1号p86の告示、第2号p30による)。次の日には新たな第71巻となる第73巻の口述が開始されている。第71巻…奥付の発行日は大正14年(1925年)11月7日だが、その前日の11月6日午後2時に発行禁止と差し押さえの命令が来た(『真如能光』第1号p86の告示、第2号p30による)。だが次の日には新たな第71巻となる第73巻(現・第71巻)の口述が開始されている。</ref><ref name="rm69memoT1301_12">1月から12月まで長期間空いているが、蒙古に行ったためである。大正13年(1924年)2月に蒙古へ向けて旅立ち、7月に帰国、入監し、保釈されて帰綾したのは11月。口述日が1月から12月まで長期間空いているが、王仁三郎が蒙古に行ったためである。大正13年(1924年)2月に蒙古へ向けて旅立ち、7月に帰国、入監し、保釈されて帰綾したのは11月。</ref>
</references>
 
=== 口述日数 ===
 
霊界物語の口述日数の合計は'''393日間'''である。
 
各巻の口述日数を単純に合計すると、397日間になるが、次の4日間が重複している、つまり2つの巻にまたがって口述した日が4日ある(大正10年10月26日、大正11年8月24日、大正12年5月9日、同15日)ため、それを引いて393日間になる。
 
各輯ごとの口述日数は次のようになる。
 
* 霊主体従(第1~12巻)…99日間
* 如意宝珠(第13~24巻)…50日間
* 海洋万里(第25~36巻)…46日間
* 舎身活躍(第37~48巻)…47日間
* 真善美愛(第49~60巻)…41日間
* 山河草木(第61~72巻、入蒙記)…57日間
* 天祥地瑞(第73~81巻)…54日間
 
1つの巻を最短で2日間(第46巻)、最長で15日間(第4巻)、平均約4.8日(398日÷83冊≒4.783)で口述した。(ただし一日の口述時間は一定ではないだろうから、日数が多くても口述時間が多いとは限らない)
 
* 2日間…1巻([[第46巻]])
* 3日間…30巻
* 4日間…18巻
* 5日間…16巻
* 6日間…6巻
* 7日間…3巻
* 8日間…3巻
* 9日間…1巻
* 10日間…1巻
* 11日間…1巻
* 13日間…1巻
* 14日間…1巻
* 15日間…1巻([[第4巻]])
 
全体の8割近く(65巻)を2~5日で書いている。
 
=== 巻番号の変動 ===
 
[[第66巻]]以降は、口述時の巻番号と出版時の巻番号に変動がある。これは第71巻(現・[[第64巻下]])が発禁になったため巻番号を再編成したと思われる。
=== 通巻章番号の変動 ===
! 合計 || 369 || 2108
|}
 
== 筆録者 ==
霊界物語の筆録者は計38人いる。 →詳細は「[[霊界物語の筆録者]]」を見よ
 
== 口述地 ==
霊界物語を口述した場所は、主に次の場所がある。
 
'''第1~72巻'''
# 綾部・[[松雲閣]]([[祥雲閣]])
# 綾部・[[竜宮館]]
# 綾部・[[錦水亭]]
# 綾部・[[月光閣]]
# 亀岡・[[瑞祥閣]]
# 鳥取県・[[岩井温泉]]([[晃陽館]]・[[駒屋]])
# 静岡県・[[湯ケ島温泉]]([[安藤春夫]]方)
# 鳥取県・[[皆生温泉]]([[浜屋旅館]])
# 伊予([[山口恒彦]]邸)
# 丹後由良([[秋田別荘]])
# 天の橋立([[なかや旅館]][[掬翠荘]])
 
'''第73~81巻'''([[天祥地瑞]])
# 亀岡・[[千歳庵]]
# 亀岡・[[高天閣]]
# 亀岡・[[水明閣]]
# 亀岡・[[更生館]]
# [[大阪分院]][[蒼雲閣]]
# 横浜・[[関東別院]][[南風閣]]
# 静岡・[[伊豆別院]](湯ケ島)
== 校正 ==
[[ファイル:聖師御校正本第6巻トビラ.jpg|thumb|||霊界物語第6巻の聖師御校正本のトビラ]]
 
霊界物語は短期間で急ピッチで著述と出版が行われ、王仁三郎による校正なしで出版されて行った。
[[天祥地瑞]]は最初から校正された状態で出版されたため、校正本はない。また[[入蒙記]]は[[出口王仁三郎全集]]に収録されたものを第二次大戦後に霊界物語に収録したので、やはり校正本はない。つまり第1巻から第72巻までの72冊の校正本があった。しかし昭和25年(1950年)12月31日午前2時半頃に[[天恩郷]]の本部事務所から出火して全焼し<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c7432|梅花運動}}」</ref>、そこに保管してあった[[第1巻]]・[[第2巻]]・[[第27巻]]の校正本は焼失して現存していない<ref>[[愛善世界社版]]霊界物語第1巻p300「凡例」</ref>。
 
== 諸本 ==
霊界物語は今日までに数種類の刊本が出版されている。 →「[[霊界物語の諸本]]」を見よ
 
== 物語の内容 ==
=== 物語の年代 ===
基本的には35万年前の物語だが、数十年前とか、数百万年前、6~7千万年前という記述もある。
 
また、仕組(経綸)としては「三千年の仕組」なので、3千年前の物語だとも言える。
 
* 35万年前
** 「殆ど三十五万年、古き神代の物語」〔{{rm09|18|0003|総説}}〕
** 「今より三十五万年 遠き神代に溯り」〔{{rm|35|1|言の架橋}}〕
** 「かかる例は三十五万年前の神代のみではない」〔{{rm|50|1|至善至悪}}〕
** 他多数
* 30万年前
** 「今より三十万年前の都会としては」〔{{rm|28|12|サワラの都}}〕
** 「南米(高砂嶋)の三十万年前の神示の物語ですから」〔{{rm09|30|0001|序}}〕
** 「三十万年前の地球の」〔{{rm|33|17|感謝の涙}}〕
* 「三十余万年前の太古の事」〔{{rm09|29|0003|端書}}〕
* 数十万年前
** 「数十万年前の物語であり」〔{{rm09|12|0001|序文}}〕
** 「数十万年前の神代の物語にも抱はらず」〔{{rm09|16|0001|序文}}〕
* 「数百万年以前」〔{{rm09|6|0003|総説}}〕
* 「これは今から六七千万年前の物語で」(編者の弁)〔{{rm09|2|0002|凡例}}〕
* 「大宇宙の完成するまでに五十六億万年を要したる時より以後の事」〔{{rm|6|1|宇宙太元}}〕
 
ただし次の4箇所は、年代や舞台が異なる。
 
* 第37~38巻
* 第64巻上下
* 入蒙記
* 第73~81巻(天祥地瑞)
 
=== 時間経過 ===
霊界物語には、ストーリー上の年月日の情報はあまり記されていない。そのため、あるエピソードからあるエピソードまで、どのくらいの時間が経っているのか、よく分からない。判明している時間経過の情報のいくつかを以下に記す。
 
* [[第10巻]]の黄泉比良坂の戦い →「[[黄泉比良坂の戦い#時間経過]]」
* [[第7巻]]で[[日の出神]]が[[大台ケ原]]の魔神を放逐したエピソードから、[[第23巻]]で[[常楠]]・[[木山彦]]ら2組の夫婦が生き別れた息子4人と再会するエピソードまでが、'''22年間'''。
** {{rm|23|7|知らぬが仏}}の、[[虻公]]のセリフ「私は[[熊野の森]]に捨てられて居つたのを、或山賊の親分が見つけて、私を[[大台ケ原]]の山砦に伴れ帰り、立派に成人させて呉れました。私が十八才になつた時、三五教の宣伝使がやつて来て、岩窟退治を致した時に生命からがら其処を脱け出し」から、虻公が18歳の時に第7巻のエピソードが起きたことが分かる。また、[[お久]]のセリフ「ハイもう彼是四十年にもなるだらう」から、お久が虻公を熊野の森に捨てたのが、40年前だということが分かる。したがって40-18=22で、第7巻のエピソードは22年前だということが分かる。
* 第22巻で[[黒姫]]一行が玉探しのために[[錦の宮]]を旅立ってから({{rm|22|4|玉探志}})、第24巻で[[小糸姫]]([[黄竜姫]])が[[竜宮島]]の女王になるまで({{rm|24|4|一島の女王}})が'''2年間'''。<ref>{{rm|24|4|一島の女王}}:[[クロンバー]]([[黒姫]])のセリフ「大切なる玉の紛失せし為め其所在を探ねむと、竜宮の乙姫様の生宮として今年で殆ど満'''二年'''、残る隈なく探せども今に所在は分らず」</ref>
* [[シロの島]]の住民[[チャンキー]]・[[モンキー]]が、[[小糸姫]]を舟に乗せて[[竜宮島]]に渡る途中、暴風に遭って難破してから({{rm|24|4|一島の女王}})、[[ニュージーランド]]の手前の岩山で、[[高姫]]・[[蜈蚣姫]]らと出会うまで({{rm|24|9|神助の船}})が'''3年間'''。<ref>{{rm|24|9|神助の船}}:[[チャンキー]]のセリフ「'''三年前'''に[[鬼熊別]]の御娘[[小糸姫]]様を御送り申して、竜宮の一つ島へ渡る途中暴風に出会ひ、船を打割り、辛うじて此島に駆けあがり」</ref>
 
=== 方角 ===
霊界物語は現代の地名が使われている場合が多々あるが、方角を示す言葉を調べると、現代の地理とは位置関係が異なっている場合がある。その例を以下に記す。
* [[ニュージーランド]]の近辺<ref>{{rm|24|4|一島の女王}}:船頭のセリフ「大方ニユージランドの近辺だと思ひます」</ref>で[[小糸姫]]を救助して[[竜宮島]](オーストラリア)へ向かう[[五十子姫]]たちの舟は「'''西南'''(にしみなみ)」へ進んでいるが<ref>{{rm|24|4|一島の女王}}:「風に送られ'''西南'''(にしみなみ) 竜宮島を指して行く」</ref>、現代のニュージーランドから見てオーストラリアは'''西'''または'''西北'''の方角にあり、決して南ではない。<ref>そもそもシロの島(セイロン島)から逃げ出した小糸姫の舟がわずか一日程度でニュージーランドの近辺に到着して遭難したり、顕恩郷から舟で流された五十子姫らがニュージーランドの近辺で小糸姫を救助したりするのは(ニュージーランドに着く前に竜宮島に着くのではないか?)、現代の地理とは位置関係が異なる。</ref>
== 脚注 ==

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