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開化天皇

3,576 バイト追加, 2023年11月13日 (月) 18:26
外部リンク
== 概要 ==
[[ファイル:開化天皇陵2022.jpg|thumb|奈良市にある開化天皇陵。令和4年(2022年)2月撮影。]]
 
* 誕生:皇紀453年(孝元天皇7年)
* 即位:皇紀504年(開化天皇元年)
* 霊界物語{{rm|19|1|高熊山}}で「小幡大明神」(つまり開化天皇の神霊)が王仁三郎に、「天津神国津神の依さしのまにまに(略)三十五年の昔より、[[木の花姫]]と語らひて、汝が御霊を拝領し、我が氏の子として生れ出でしめたり」と語っている。また{{is|09|大正8年1月2日}}に「艮の金神変性男子の御霊が(略)小幡神社の御主神、開化天皇の御引合はせに由り、氏子の中の変性女子の御魂を申受けて」と記されている。つまり開化天皇の神霊の計らいによって王仁三郎が[[穴太]]に生まれたということになる。
** 王仁三郎が[[高熊山修業]]を行った明治31年(1898年)の35年前は、数えだと元治元年(1864年)になる。この年は禁門の変が起きた年である。[[佐藤紋次郎]]『[[たまほこのひかり]]』によると禁門の変の際、[[孝明天皇]]が[[旭形亀太郎]]に経綸書等を渡して「皇紀2600年になったら、親指にスの紋を持つ70歳の男にこの経綸書を渡せ」と命じた<ref>[[出口恒]]『[[誰も知らなかった日本史]]』参照</ref>。そのことと小幡大明神が言う「三十五年の昔より云々」とは関連していると思われる。
* 王仁三郎は開化天皇の名前「稚日本根子彦大日日命」は「若き日本の根本の神様」という意味であり、「世界を統一される神様」だと教えている。また言霊学で解釈すると「新の日本国建設大本皇威発揚」という意味になると教えている。<ref name="kake0388">『新月の光』「開化天皇の御神業」(昭和17年10月12日の発言):「穴太の産土様は稚日本根子彦大日日命である。若き日本の根本の神様ということだから開化天皇はおくり名である。世界を統一される神様である。王仁は今は開化天皇の御神業をやっているのである。それだから開化天皇の宣伝歌「若人の奮ひたつべき時は来ぬ若き日本の春は近めり」(昭和青年会会歌となる)を日本中歌って廻らしたのである。日本は古いけれども若い国である」『新月の光』「開化天皇の御神業」(昭和17年10月12日の発言):「穴太の産土様は稚日本根子彦大日日命である。若き日本の根本の神様ということだから開化天皇はおくり名である。世界を統一される神様である。王仁は今は開化天皇の御神業をやっているのである。それだから開化天皇の宣伝歌「若人の奮ひたつべき時は来ぬ若き日本の春は近めり」(昭和青年会会歌となる)を日本中歌って廻らしたのである。日本は古いけれども若い国である。(略)開化天皇は朝鮮、満洲、支那、蒙古、マレーまで行幸になったのである。王仁は今は開化天皇の仕事をやっているのである。」</ref> <ref>『神霊界』大正8年(1919年)12月1日号「随筆」24頁:「△新十一月十八日、丹波南桑田郡曽我部村大字穴太の産土小幡神社へ一行と共に参拝し、神饌並に玉串を奉献しました。抑も当社の祭神は開化天皇様で、延喜式内の旧い由縁の在る御宮で、屋根には十六の菊の御紋と、三ツ巴の紋が附けてありますが、私が去る明治三十一年二月帰神状態に成つた時、大心願を籠めて置いた神様であります。神名は稚日本根子彦大日日命様で、此御神名を日本言霊学の上から奉釈すると、新の日本国建設大本皇威発揚の神言霊と曰ふ事に成ります。私が此神様の氏子と生れ、綾部の地の高天原へ参上り、五六七神政成就の御用を勤めさして頂いて居るのも、決して偶然では無いと曰ふ事が、首肯されるので在ります。」</ref>* 王仁三郎は「開化天皇の宣伝歌」だという自作の和歌「若人の奮ひたつべき時は来ぬ若き日本の春は近めり」(昭和6年12月発表)に曲を付けさせて[[昭和青年会]]の会歌にした。<ref name="kake0388" /> →「[[昭和青年会会歌]]」
* 自分は「開化天皇の御神業をやっている」のだと語っている。<ref name="kake0388" />
* 「開化天皇は朝鮮、満洲、支那、蒙古、マレーまで行幸になったのである。王仁は今は開化天皇の仕事をやっているのである」とも語っている。<ref name="kake0388" />
 
== 出口家との関係 ==
王仁三郎が書いた『[[大本教開祖御伝記]]』によると、出口家の遠祖は開化天皇の孫であり四道将軍<ref>崇神天皇10年9月9日、北陸に大彦命(おおびこのみこと)を、東海に武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)を、西道に吉備津彦命(きびつひこのみこと)を、丹波(後の丹波・丹後・但馬の三国)に丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)を派遣した。「四道将軍」は日本書紀だけに記されている。古事記では西道以外の三道だけ記載があり、丹波道主命ではなく、その父の日子坐王(ひこいますのみこ)を丹波に派遣したと記されている。</ref>の一人である丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと)<ref>日本書紀では丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと)だが、古事記では丹波比古多多須美知能宇斯王(たんばひこ たたすみちの うしのみこ)と呼ばれている。いずれも開化天皇の皇子・彦坐王(ひこいますのみこ)(古事記では日子坐王)が父。</ref>である。つまり出口家は開化天皇にルーツがあるということになる。
 
丹波道主命は丹波に派遣され、何鹿に住み着いた。その子孫の綾津彦命が綾部に住み、豊受大神を祭った。それが後に久次に遷って比沼麻奈為神社となり、さらに伊勢に遷った。
 
{{inyou| 出口家の遠祖は丹波道主命《たんばみちぬしのみこと》に出づ。命は開化天皇の妃 田庭竹野姫《たにはたけのひめ》の子 彦由牟須美命《ひこゆむすみのみこと》の裔なり<ref>日本書紀では開化天皇と妃・姥津媛(ははつひめ)との皇子・彦坐王の子が丹波道主命。古事記ではやはり日子坐王(彦坐王)の子が丹波道主命だが、丹波に派遣されたのは父の日子坐王。王仁三郎の言説だと派遣されたのは丹波道主命で、その父は彦由牟須美命(ひこゆむすみのみこと)であり、記紀いずれの伝承とも異なる。</ref>。道主命は(略)祖先の出産地<ref>「祖先の出産地」とは丹波道主命の祖母(開化天皇の妃)田庭竹野姫が丹波出身という意味だと思われる。</ref>たる縁故を以て、天皇の特旨に依り丹波に派遣されたるが、命の教化の力能く功を奏し、終に丹波の何鹿の里に居を構へ威望四隣を圧したりしが、命の後裔なる綾津彦命《あやつひこのみこと》は綾部の郷 神戸《かんべ》の地を卜して永住し、豊受大神を奉祀し居たりしに(略)|[[百済博士]](出口王仁三郎)著『[[大本教開祖御伝記]]』16頁}}
 
 →「[[比沼麻奈為神社#元の鎮座地は本宮山]]」にも関連情報あり。
== 外部リンク ==
* [https://isagawa-jinja.jp/ 率川神社](公式サイト):主祭神は媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)(神武天皇の皇后)。推古天皇元年(593年)に創建された奈良市最古の神社。
* <wp>念仏寺山古墳</wp>:開化天皇陵。
* <wp>四道将軍</wp>* <wp>丹波道主命</wp>
== 脚注 ==

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