「開化天皇」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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(王仁三郎との関係)
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[[ファイル:開化天皇陵2022.jpg|thumb|奈良市にある開化天皇陵。令和4年(2022年)2月撮影。]]
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* 即位:皇紀504年(開化天皇元年)
 
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2023年11月13日 (月) 14:19時点における版

開化天皇(かいかてんのう)は、第9代天皇。小幡神社の祭神。王仁三郎の産土神。

概要

奈良市にある開化天皇陵。令和4年(2022年)2月撮影。
  • 誕生:皇紀453年(孝元天皇7年)
  • 即位:皇紀504年(開化天皇元年)
  • 退位・崩御:皇紀563年(開化天皇60年)4月9日、享年115歳
  • 皇居:春日率川宮(かすがのいざかわのみや)…現・奈良市本子守町の率川(いさがわ)神社がその跡地だと言われている。
  • 御陵:春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)…現・奈良市油阪町にある。学術上の遺跡名は「念仏寺山(ねんぶつじやま)古墳」。
  • 闕史八代の天皇なので、記紀に特別な事蹟は記されていない。
  • 「開化天皇」という名は記紀編纂後(8世紀後半)に作られた名前である。日本書紀では「稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと)」、古事記では「若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおおびびのみこと)」と呼ばれている。
  • 開化天皇は穴太の産土・小幡神社の祭神である。開化天皇を祭る神社は珍しい。小幡神社以外に次の神社が開化天皇を祭っている。
    • 萱野(かやの)神社:滋賀県大津市。主祭神は開化天皇。公式サイト
    • 吉備津彦神社:岡山市。主祭神は大吉備津日子命(孝霊天皇の皇子)。相殿に孝霊・孝元・開化・崇神天皇を祭る。公式サイト

王仁三郎との関係

  • 上古は、王仁三郎が霊的修業を行った高熊山の山中に、開化天皇を祭る小幡神社があった。[1]
  • 王仁三郎は高熊山修業の際に、霊界で、開化天皇の神霊に導かれたことが霊界物語に書かれている。「開化天皇」とは書かれていないが、「小幡神社の大神」「産土の神様」「産土神」「産土の神」[2]、「小幡大明神」「小幡明神」[3]等と呼ばれている。
  • 霊界物語第19巻第1章高熊山#で「小幡大明神」(つまり開化天皇の神霊)が王仁三郎に、「天津神国津神の依さしのまにまに(略)三十五年の昔より、木の花姫と語らひて、汝が御霊を拝領し、我が氏の子として生れ出でしめたり」と語っている。また伊都能売神諭 大正8年1月2日#に「艮の金神変性男子の御霊が(略)小幡神社の御主神、開化天皇の御引合はせに由り、氏子の中の変性女子の御魂を申受けて」と記されている。つまり開化天皇の神霊の計らいによって王仁三郎が穴太に生まれたということになる。
    • 王仁三郎が高熊山修業を行った明治31年(1898年)の35年前は、数えだと元治元年(1864年)になる。この年は禁門の変が起きた年である。佐藤紋次郎たまほこのひかり』によると禁門の変の際、孝明天皇旭形亀太郎に経綸書等を渡して「皇紀2600年になったら、親指にスの紋を持つ70歳の男にこの経綸書を渡せ」と命じた[4]。そのことと小幡大明神が言う「三十五年の昔より云々」とは関連していると思われる。
  • 王仁三郎は開化天皇の名前「稚日本根子彦大日日命」は「若き日本の根本の神様」という意味であり、「世界を統一される神様」だと教えている。また言霊学で解釈すると「新の日本国建設大本皇威発揚」という意味になると教えている。[5] [6]
  • 王仁三郎は「開化天皇の宣伝歌」だという自作の和歌「若人の奮ひたつべき時は来ぬ若き日本の春は近めり」(昭和6年12月発表)に曲を付けさせて昭和青年会の会歌にした。[5] →「昭和青年会会歌
  • 自分は「開化天皇の御神業をやっている」のだと語っている。[5]
  • 「開化天皇は朝鮮、満洲、支那、蒙古、マレーまで行幸になったのである。王仁は今は開化天皇の仕事をやっているのである」とも語っている。[5]

外部リンク

脚注

  1. 第1巻第1章霊山修業#
  2. 第1巻第6章八衢の光景#第1巻幽庁の審判#第1巻天使の来迎#第1巻神界旅行(三)#第1巻盲目の神使#
  3. 第19巻第1章高熊山#
  4. 出口恒誰も知らなかった日本史』参照
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 『新月の光』「開化天皇の御神業」(昭和17年10月12日の発言):「穴太の産土様は稚日本根子彦大日日命である。若き日本の根本の神様ということだから開化天皇はおくり名である。世界を統一される神様である。王仁は今は開化天皇の御神業をやっているのである。それだから開化天皇の宣伝歌「若人の奮ひたつべき時は来ぬ若き日本の春は近めり」(昭和青年会会歌となる)を日本中歌って廻らしたのである。日本は古いけれども若い国である。(略)開化天皇は朝鮮、満洲、支那、蒙古、マレーまで行幸になったのである。王仁は今は開化天皇の仕事をやっているのである。」
  6. 『神霊界』大正8年(1919年)12月1日号「随筆」24頁:「△新十一月十八日、丹波南桑田郡曽我部村大字穴太の産土小幡神社へ一行と共に参拝し、神饌並に玉串を奉献しました。抑も当社の祭神は開化天皇様で、延喜式内の旧い由縁の在る御宮で、屋根には十六の菊の御紋と、三ツ巴の紋が附けてありますが、私が去る明治三十一年二月帰神状態に成つた時、大心願を籠めて置いた神様であります。神名は稚日本根子彦大日日命様で、此御神名を日本言霊学の上から奉釈すると、新の日本国建設大本皇威発揚の神言霊と曰ふ事に成ります。私が此神様の氏子と生れ、綾部の地の高天原へ参上り、五六七神政成就の御用を勤めさして頂いて居るのも、決して偶然では無いと曰ふ事が、首肯されるので在ります。」