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軍人会館

817 バイト追加, 2024年3月9日 (土)
大政翼賛会の発会式
[[ファイル:東京朝日新聞1940年12月11日夕刊(12日付)p2.jpg|thumb|『東京朝日新聞』昭和15年(1940年)12月11日夕刊 大政翼賛会の東京府支部の結成式が軍人会館で開かれたことを伝えている。本文2~4行目「十一日午後一時から九段軍人会館で結成式並に記念講演会を挙行した」]]
一部の大本関係書で、一部の大本関係書の[[雛型]]・[[数運]]を紹介する下りで、[[大政翼賛会]]の発会式が軍人会館で開かれたと記されている場合がある。
【例】「六年後の昭和一五(一八四〇)年七月二二日、第二次近衛内閣が組閣される。近衛文麿は陸相に東条英機をすえ、新体制運動を推進するため、国民統制組織である大政翼賛会を創立する。その大政翼賛会の発会式が昭和神聖会と場所も同じ九段の軍人会館で開かれ、その形式、その後の活動状況までそっくり」〔【例1】「この昭和神聖会の発会式は、東京九段の軍人会館において、大臣や陸海軍の将官がずらりとならび、盛大に行われたが、それから六年目の同じ日に、第二次近衛内閣が組閣されている。政府が太平洋戦争に踏み切ることを明確に決意したのは、陸相に東条英機をすえた第二次近衛内閣のときである。組閣と同時に日独伊軍事同盟をむすび、仏印に進駐して南方の資源を押さえ、'''十月には九段の軍人会館で大政翼賛会の発会式を行い'''、着々戦争の準備を整えた」〔『大本案内』p31<ref>『大本案内』は[[十和田龍大本本部]]『[[第三次大本事件の真相]]』p55〕発行の全82頁の小冊子。昭和63年発行の十刷を使用。初版は昭和50年発行。</ref>〕
【例2】「六年後の昭和一五(一八四〇)年七月二二日、第二次近衛内閣が組閣される。近衛文麿は陸相に東条英機をすえ、新体制運動を推進するため、国民統制組織である大政翼賛会を創立する。その'''大政翼賛会の発会式が昭和神聖会と場所も同じ九段の軍人会館で開かれ'''、その形式、その後の活動状況までそっくり」〔[[十和田龍]]『[[第三次大本事件の真相]]』p55〕 しかし当時の新聞報道によると、大政翼賛会の発会式は昭和15年(1940年)10月12日に'''首相官邸で'''開かれている。大政翼賛会東京府支部の結成式が同年12月11日に'''九段会館で軍人会館で'''開かれており、それと混同している可能性がある。
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