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綾部

842 バイト追加, 2023年11月28日 (火) 03:34
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'''綾部'''(あやべ)は、[[出口直]]によって[[大本]]が開教された町。[[大本]]の二大聖地の一つ「[[梅松苑]]」がある。綾部と呼ばれる範囲は時代によって変遷し、出口直・王仁三郎の在世中は京都府[[何鹿郡]]綾部町だったが、現在は何鹿郡のほぼ全域が合併し綾部市になっている<ref>佐賀村の西部は福知山市に編入された。『綾部市史 上巻』p6:「西部の山野口・印内・報恩寺・下私市は福知山市へ、東部の上私市・小貝・石原は綾部市に編入された」</ref>。
== 歴史 綾部の範囲 ==
[[ファイル:江戸時代の綾部12村の位置.jpg|thumb|【図1】江戸時代の綾部12村の位置を明治44年の地図にプロットした図。]]
[[ファイル:何鹿郡全図(大正15年).jpg|thumb|【図2】『何鹿郡誌』(京都府教育会何鹿郡部会・編、大正15年(1926年)7月15日発行)巻末に収録されている「何鹿郡全図」。]]
[[ファイル:綾部の区域の変遷19601001.jpg|thumb|【図6】昭和35年(1960年)の綾部市の区域。]]
大本関係文献に登場する「綾部」の領域は時代によって次の四段階あると言える。(「[[#歴史]]」の年表参照)
 
* 明治22年以前の「綾部」は【図1】を参照。江戸時代の綾部町・綾部村の領域<ref>綾部町とはもともと綾部村の繁華街(城下町)の部分。</ref>。了円寺から現在の広小路通り、ITビルの辺りを中心とした地域。新宮や坪内は別地域になる。
* 明治22年から昭和25年までの「綾部」は【図2】【図3】を参照。山家や八田は別地域。
* 昭和25年から昭和30年までの「綾部」は【図4】を参照。
* 昭和30年以降の「綾部」は【図5】【図6】を参照。
 
戦前の文献に出る「綾部」とは【図2】【図3】の地域である。
 
== 歴史 ==
* 天保11年(1840年)に農政学者・佐藤信淵(さとう のぶひろ)が著した「巡察記」によると、綾部組(綾部郷)には次の12の村があった。<ref>『綾部市史 史料編』p603</ref>
** 綾部村、坪内村、田野村、寺村、野田村、新宮村、神宮寺村、井倉村、井倉新町、青野村、中村、味方村

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