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神の国 (1921)

596 バイト追加, 2024年4月8日 (月)
概要
{{Otheruses|戦前の大本の機関誌|その他の用法|神の国 (曖昧さ回避)}}
 
[[ファイル:神の国創刊号の表紙(図説民衆の宗教大本p30).jpg|thumb|『神の国』大正10年(1921年)8月号(創刊号)の表紙。(『[[写真図説 民衆の宗教・大本]]』p30掲載の写真)]]
'''神の国'''(かみのくに)は、[[大本]]の機関誌。『[[神霊界]]』誌が大正10年(1921年)6月で廃刊となり、代わって『神の国』が8月に創刊された。
当初は月刊、大正11年10月から10日・25日の月2回発行<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4224|新機運の動向}}」</ref>、大正13年(1924年)8月からはそれまでのB5版をB6版(約100頁)にあらためて月2回発行となり、大正14年8月からは月刊に戻る<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4444|国内宣教と造営}}」</ref>。昭和4年(1929年)3月からはA5版となる<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5132|本部の体制}}」</ref>。昭和7年(1932年)4月頃の発行部数は1万5千部だった<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5421|本部での動き}}」</ref>。 大正14年(1925年)11月号は11月11日に発禁となり原稿が押収される<ref>『真如の光』大正14年(1925年)11月15日号p48</ref>。
 
昭和7年(1932年)10月号から発行日が毎月10日から1日に変更となる<ref>『神の国』昭和7年(1932年)9月号p93「編輯後記」</ref>。
昭和10年(1935年)12月号(第15巻第12号・通巻第203号)まで発行されたが、以後は[[第二次大本事件]]により廃刊となった。
創刊初期の表紙には「神の国」の題号の上に神代文字で「カミノクニ」(右書き)と記されていた(八幡書店復刻版の表紙画像を参照)。この神代文字は創刊初期の表紙には「神の国」の題号の上に神代文字で「カミノクニ」(右書き)と記されていた(創刊号の表紙画像を参照)。この神代文字は[[言霊学]]で使われる[[水茎文字]]ではなく、平田篤胤が『神字日文伝』で発表した神代文字「日文(ひふみ)」である。ではなく、平田篤胤が『神字日文伝(しんじひふみでん)』で発表した神代文字「日文(ひふみ)」である<ref>神代文字「日文」が書いてあるページ:平田篤胤・著 {{Pid|2562730/1/24|神字日文伝 2巻附録1巻}}</ref> <ref><wp>神字日文伝</wp></ref>。
== 復刻版 ==
== 関連項目 ==
* [[神の国 (19521950)]]:戦後の大本の機関誌。昭和27年(1952年)9月に『:戦後の大本の機関誌。昭和25年(1950年)9月に『[[海潮]]』から改題。
* [[神の国 (1990)]]:[[愛善苑 (1986)|愛善苑]]の機関誌。

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