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田村月樵

1,049 バイト追加, 2023年6月7日 (水) 19:06
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王仁三郎の父・[[上田吉松]](婿入り前の名前は[[佐野梅吉]])の兄または姉の子供だと思われるが詳細は不明。
 
第八歌集『[[青嵐]]』に「従兄月樵」という項があり、明治32年(1899年)1月に京都の稲荷大社に参拝した帰途、篠村(現在の亀岡市篠町)の闇宮(くらがりのみや)(現・王子神社)を参拝し、田村月樵と会って話したことが歌われている。
 
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くらがりの宮の社務所に立寄りて|従兄《いとこ》の田村月樵を訪ふ
 
くらがりの宮の笠松《かさまつ》幹ふとく丈《たけ》たかくして天にのびをり
 
久闊《きうくわつ》を叙せば従兄の月樵は何してゐるかとしみじみ尋ぬる
 
去年《こぞ》の春ゆ惟神の道に仕へしといへば月樵黙《もだ》しゐたりき
 
ややしばしありて月樵おもむろに絵を学べよとわれにすすむる
 
絵の道はわれ好めどもかむながら神の道にはそむけじと答ふ
 
月樵はうなづきながら神国《かみくに》の前途のために尽せと教ふる
|出口王仁三郎『[[青嵐]]』pp.24-25 }}
== 経歴が記されている資料 ==

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