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狭野の島

929 バイト追加, 2019年2月13日 (水) 01:11
概要
== 概要 ==
* 旧名:魔の島(まのしま)(旧名:'''魔の島'''(まのしま)({{rm|77|4|狭野の島生み}}で狭野の島に改名される)で狭野の島に改名される)(魔島とも)* 別名:'''[[狭野の食国]]'''(さぬのおすくに)<ref>「狭野の食国」という呼び方は{{rm|77|3|狭野の食国}}と{{rms|77|5|言霊生島}}だけに出る。</ref> (→[[食国]])
* 初出:{{rm|77|3|狭野の食国}}(魔の島)、{{rm|77|4|狭野の島生み}}(狭野の島)
[[第77巻]]第3~4章で舞台となる。
朝香比女の神一行7柱([[朝香比女の神]]、[[初頭比古の神]]、[[起立比古の神]]、[[立世比女の神]]、[[天中比古の神]]、[[天晴比女の神]]、[[狭野彦]])が乗る磐楠舟は魔の島に近づいた。魔の島には駒よりも大きな蟻が島一面に群がっている。しかし魔の島の正体は、巨大な八十曲津見が地中に潜み、頭だけを水上に浮かせており、数多の蟻は曲津見の頭にわいた虱であった。島は次第に高く浮き上がり、曲津見の巨体は水上に浮かび、目鼻口が不規則に付いた顔は雲を圧して高く、足の膝頭より中は海中にあり、形容できないほど大きかった。朝香比女の神が言霊を宣ると、八十曲津見の巨体はそのまま海中に固まり、巨大な巌島となった。この島は周囲100里の相当広い島である。天中比古の神は国津神の狭野彦を譲り受け、諸々の草木五穀を生言霊に生み出で、ついに)が乗る磐楠舟は魔の島に近づいた。魔の島には駒よりも大きな蟻が島一面に群がっている。しかし魔の島の正体は、巨大な八十曲津見が地中に潜み、頭だけを水上に浮かせており、数多の蟻は曲津見の頭にわいた虱であった。島は次第に高く浮き上がり、曲津見の巨体は水上に浮かび、目鼻口が不規則に付いた顔は雲を圧して高く、足の膝頭より中は海中にあり、形容できないほど大きかった。朝香比女の神が言霊を宣ると、八十曲津見の巨体はそのまま海中に固まり、巨大な巌島となった。この島は周囲100里の相当広い島である。天中比古の神は国津神の狭野彦を譲り受け、諸々の草木五穀を生言霊に生み出で、ついに「[[狭野の食国]](さぬのおすくに)を生み出で、永久に鎮まった。〔(さぬのおすくに)」を生み出で、永久に鎮まった。〔{{rm|77|3|狭野の食国}}〕
朝香比女の神は魔の島を「狭野の島」と改め、天中比古の神と狭野彦を島に残し、他4柱の神々と共に[[万里の海]]を南へと進んで行った。〔{{rm|77|4|狭野の島生み}}〕
 
== その他 ==
日本書紀で「狭野尊(さののみこと)」は神武天皇の幼名である。
 
巻二の最後、一書(第一)に「先づ彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を生みたまふ。次に稲飯命(いなひのみこと)。次に三毛入野命(みけいりののみこと)。次に'''狭野尊'''(さののみこと)。亦は神日本磐余彦尊(かむやまといはれびこのみこと)と号(まう)す。狭野と所称(まう)すは、是、年少(みとしわか)くまします時の号(みな)なり」<ref>坂本太郎他校注『日本書紀(一)』岩波書店、1994年、p194</ref>とある。
== 脚注 ==

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