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清彦・照彦

966 バイト追加, 2020年7月15日 (水) 16:46
第23巻・第25巻
== 概要 ==
[[ファイル:霊界物語熊野・琉球にまつわる主な人物系図.jpg|thumb|霊界物語における熊野と琉球にまつわる主な人物の系図]]
* 表記ゆれ:虻、蜂
* 初出:{{rm|23|7|知らぬが仏}}(虻公・蜂公)、{{rm|27|15|情意投合}}(清彦・照彦)
=== 第23巻・第25巻 ===
虻公・蜂公は泥棒稼業をしていた。泥棒の虻公・蜂公は、[[紀の国]]の[[木山の里]]の[[常楠]]・[[お久]]夫婦の家に、旅人を装って泊まらせてもらい、百両ほどの大金を奪って、娘の[[お軽]]を殺した。<ref>{{rm|23|5|親子奇遇}}:[[お久]]の[[駒彦]]に対するセリフ「せめて二三日前にお前が帰つて呉れたなら、妹の'''お軽'''もあんな目に会うのではなかつたぢやらうに……あゝ残念な事をした。お前の行方を探したさ、若いうちに夫婦が交る交る紀の国一面を歩いて見たが、どうしても行方が知れず、斯う年が寄つては歩く事も出来ぬので、人さへ見れば吾家に泊つて貰ひ、何かの手懸りもがなと、善根宿をして居つたのだ。さうした所がエライ泥棒を泊めて、妹の生命を取られて了うたのぢや」</ref> <ref>{{rm|23|7|知らぬが仏}}:蜂公の虻公に対するセリフ「木山の里で爺と婆アの家に泊り込み、奪つて来た金子は大方使ひ果し」。虻公の蜂公に対するセリフ「木山の里で奪つた金子も百両ばかりあつたが」、「貴様は可愛相に彼の娘を○○して、両親の前でばらしたぢやないか」</ref>
二人は[[栗栖の宮]]の壊れた社務所の縁側で、その時のことを回顧していると、中から人から出て来た。それはお久だった。[[常楠]]・[[お久]]・[[秋彦]]・[[駒彦]]の4人は[[竜神の宮]]の祟りから逃れるため、[[木山の里]]を出立し、栗栖の森まで来たが、常楠が急病になったため、栗栖の宮の社務所で休んでいたのだった。
虻公は、生まれてすぐ、[[印南の里]]の森に捨てられた。村人が拾って育ててくれたが、育ての両親は6歳の時に病死した。その後は乞食となり、妻を持った。捨てられた時に添えてあった守り刀には「常」という字と、○に十(常楠の家の紋所)が記してあった。──[[常楠]]が妻[[お久]]の目を盗み、下女[[お竜]]([[木山姫]]<ref name="rm2308">{{rm|23|8|縺れ髪}}の「付記」</ref>)に生ませた子だった。妻の悋気を恐れて、森に捨てたのだった。
蜂公は、水児(生まれてすぐ)の時に[[熊野の森]]に捨てられた。それを山賊の親分が見つけて、[[大台ケ原]]の山砦に連れ帰り、育てた。18歳の時、三五教の宣伝使が岩窟退治をした<ref>[[第7巻]]の[[日の出神]]のことか?</ref>時にそこを脱け出し、諸方をさまよい、妻を持った。捨てられた時にあった守り刀には蜂の印が入っていたため名を「蜂」と呼ばれるようになった。──時にそこを脱け出し、諸方をさまよい、妻を持った。捨てられた時にあった守り刀には蜂の印が入っていたため名を「蜂」と呼ばれるようになった。<ref>{{rm|23|7|知らぬが仏}}:「私は[[熊野の森]]に捨てられて居つたのを、或山賊の親分が見つけて、私を[[大台ケ原]]の山砦に伴れ帰り、立派に成人させて呉れました。私が十八才になつた時、三五教の宣伝使がやつて来て、岩窟退治を致した時に生命からがら其処を脱け出し、それから諸方に彷徨ひ、女房を持ち相変らず泥棒をやつて居りました」、「私は水児の時に捨てられたので何も存じませぬが、他の話を聞けば守り刀が付いて居つたさうです。併し其守り刀も大台ケ原の岩窟の騒動の時に取り落しました。それには蜂の印が入つて居つたさうで、私を蜂々と呼ぶやうになつたと聞いて居ります」</ref> ──[[お久]]は[[常楠]]に嫁ぐ前に、親の許さぬ男([[木山彦]]<ref name="rm2308" />)を持ち、子を産んで熊野の森に捨てた(約40年前のこと)。
翌日、六人は熊野へ御礼詣りに行く<ref>{{rm|23|7|知らぬが仏}}:常楠のセリフ「明日は早く此処を立去つて熊野へ御礼に参りませう」</ref>。木山彦・木山姫夫婦が熊野の滝に水行に来ていた。八人の前に[[木花姫命]]が現れ、各自の出自を明らかにする。

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