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清彦・照彦

820 バイト追加, 2020年7月14日 (火) 02:57
第23巻・第25巻
虻公は、生まれてすぐ、[[印南の里]]の森に捨てられた。村人が拾って育ててくれたが、育ての両親は6歳の時に病死した。その後は乞食となり、妻を持った。捨てられた時に添えてあった守り刀には「常」という字と、○に十(常楠の家の紋所)が記してあった。──[[常楠]]が妻[[お久]]の目を盗み、下女[[お竜]]([[木山姫]]<ref name="rm2308">{{rm|23|8|縺れ髪}}の「付記」</ref>)に生ませた子だった。妻の悋気を恐れて、森に捨てたのだった。
蜂公は、水児(生まれてすぐ)の時に[[熊野の森]]に捨てられた。それを山賊の親分が見つけて、[[大台ケ原]]の山砦に連れ帰り、育てた。18歳の時、三五教の宣伝使が岩窟退治をした<ref>[[第7巻]]の[[日の出神]]のことか?</ref>時にそこを脱け出し、諸方をさまよい、妻を持った。捨てられた時にあった守り刀には蜂の印が入っていたため名を「蜂」と呼ばれるようになった。──時にそこを脱け出し、諸方をさまよい、妻を持った。捨てられた時にあった守り刀には蜂の印が入っていたため名を「蜂」と呼ばれるようになった。<ref>{{rm|23|7|知らぬが仏}}:「私は[[熊野の森]]に捨てられて居つたのを、或山賊の親分が見つけて、私を[[大台ケ原]]の山砦に伴れ帰り、立派に成人させて呉れました。私が十八才になつた時、三五教の宣伝使がやつて来て、岩窟退治を致した時に生命からがら其処を脱け出し、それから諸方に彷徨ひ、女房を持ち相変らず泥棒をやつて居りました」、「私は水児の時に捨てられたので何も存じませぬが、他の話を聞けば守り刀が付いて居つたさうです。併し其守り刀も大台ケ原の岩窟の騒動の時に取り落しました。それには蜂の印が入つて居つたさうで、私を蜂々と呼ぶやうになつたと聞いて居ります」</ref> ──[[お久]]は[[常楠]]に嫁ぐ前に、親の許さぬ男([[木山彦]]<ref name="rm2308" />)を持ち、子を産んで熊野の森に捨てた(約40年前のこと)。
翌日、六人は熊野へ御礼詣りに行く<ref>{{rm|23|7|知らぬが仏}}:常楠のセリフ「明日は早く此処を立去つて熊野へ御礼に参りませう」</ref>。木山彦・木山姫夫婦が熊野の滝に水行に来ていた。八人の前に[[木花姫命]]が現れ、各自の出自を明らかにする。

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