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本宮山

801 バイト除去, 2023年11月26日 (日) 16:49
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[[ファイル:本宮山(天王平から)2008.jpg|thumb|[[天王平]]から望む本宮山。2008年2月撮影。]]
[[ファイル:本宮山と蚕業試験場(絵葉書).jpg|thumb|戦前の本宮山。撮影時期不明。[[寺山]]から撮影したのだと思われる。]]
[[ファイル:本宮山の神声碑(絵葉書).jpg|thumb|本宮山山頂の三基の石碑。撮影時期不明(戦前)。]]
'''本宮山'''(ほんぐうやま)は、綾部の[[梅松苑]]内にある御神体山。標高92m(麓からの比高は約40m<ref>麓の標高は約50m。</ref>)。「[[鶴山]]」「[[円山]]」「[[丸山]]」「[[桶伏山]]」「[[橄欖山]]」とも呼ばれる。
=== 三基の石碑 ===
昭和6年(1931年)9月8日、本宮山の山頂に三基の碑石が建立されそれぞれ「[[神声碑]]」「[[教碑]]」「歌碑([[鶴山歌碑]])」と命名された。このうち教碑([[教旨]]が刻まれた石碑)だけはすでに大正12年(1923年)12月9日に本宮山に引き上げられ、文字面を伏せて置かれていた。 →詳細は「[[本宮山の三基の石碑]]」を見よ
 
* 中央:[[神声碑]]「うぶこえ 三ぜんせかいいちどにひら九うめのはな もとのかみよにたてかへたてなおすぞよ すみせんざんにこしをかけうしとらのこんじんまもるぞよ めいぢ二十五ねんしようがついつか、で九ちなお」
* 右側:[[教碑]]「神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の大司宰也 神人合一して茲に無限の権力を発揮⦿」([[大本教旨]])
* 左側:[[鶴山歌碑]]「盛なりし宮居の跡のつる山にやまほととぎす昼よるを啼く よしやみは蒙古のあらのに朽るともやまと男の子の品は落さじ 昭和六年七月十二日 出口王仁三郎」
=== 長生殿 ===
=== 神声碑と教碑の再建 ===
昭和27年(1952年)2月4日、[[神声碑]]と[[教碑]]が再建された。が再建された。 →詳細は「[[本宮山の三基の石碑]]」を見よ
=== 二代教主歌碑建立 ===

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