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木花姫命

353 バイト追加, 2023年11月20日 (月) 00:42
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'''木花姫命'''(このはなひめのみこと)は、[[霊界物語]]の登場人物。に登場する人物。'''木花咲耶姫命'''(このはなさくやひめのみこと)の「仮称」<ref>{{rm09|2|0003|総説}}の末尾:「(註)本巻において、[[国治立命]]、[[豊国姫命]]、[[国大立命]]、[[稚桜姫命]]、木花姫命とあるは、神界の命により'''仮称'''したものであります。しかし真の御神名は読んで見れば自然に判明することと思ひます」</ref>。女神の姿だけでなく、様々な人に姿を変じて登場する。
== 概要 ==
** [[上田喜三郎]]が明治31年の[[高熊山修業]]の際に、木花姫命の神使・[[松岡芙蓉仙人]]に一番最初に連れて行かれた場所は、[[富士山]]と[[皆神山]]である。<ref>{{kgm|381|信濃国皆神山}}:「私は明治三十一年高熊山にて修行中、神懸りになつて、一番につれて来られたのが天教山の富士山と、この皆神山とである」</ref>
* 木の花とは梅の花の意味である。一般に現代では、木の花は桜のことされているが、古代は梅の異称であり、古典に記された木の花とは梅を指している。梅は他の花に先立って咲くため「花の兄」とも呼ばれ、木の花を「兄の花(このはな)」とも書く<ref>{{rm|6|24|富士鳴戸}}:「木花とは梅の花の意なり。梅の花は花の兄と云ひ、兄をこのかみと云ふ。現代人は木の花と云へば、桜の花と思ひゐるなり。節分の夜を期して隠れたまひし、国祖国治立の大神以下の神人は、再び時節到来し、煎豆の花の咲くてふ節分の夜に、地獄の釜の蓋を開けて、再び茲に神国の長閑な御世を建てさせ玉ふ。故に梅の花は節分をもつて花の唇を開くなり。桜の花は一月後れに弥生の空にはじめて花の唇を開くを見ても、木の花とは桜の花に非ざる事を窺ひ知らるるなり」</ref> <ref><kb>花の兄</kb></ref>。[[大本神諭]]の「三千世界一度に開く梅の花」とは、木花姫命は[[顕幽神]]の三界([[三千世界]])を守護し玉い、その神徳を顕彰し玉う時節が到来したという意味である<ref>{{rm|6|24|富士鳴戸}}:「木花姫は顕、幽、神における三千世界を守護し玉ひしその神徳の、一時に顕彰したまふ時節到来したるなり。これを神諭には、 『三千世界一度に開く梅の花』 と示されあり」</ref>。
* 木花姫命は、仏教の観世音菩薩(観音)であり、最勝妙如来であり、観自在天である。木花姫命は、仏教の観世音菩薩(観音)であり、最勝妙如来であり、観自在天である<ref>{{rm|6|24|富士鳴戸}}:「智仁勇の三徳を兼備して、顕幽神の三界を守らせたまふ木花姫の事を、仏者は称して観世音菩薩といひ、最勝妙如来ともいひ、観自在天ともいふ。また観世音菩薩を、西国三十三箇所に配し祭りたるも、三十三相に顕現したまふ神徳の惟神的に表示されしものにして、決して偶然にあらず」</ref>。また妙音菩薩である。
* 木花姫命は[[伊都能売]]の御魂である<ref>『[[出口王仁三郎全集]] 第一巻』「{{obc|B121801c48|第2章 伊都能売}}」:「伊都能売の御魂とは(略)神道にては、木の花姫命と称へて居る神の事である」</ref>。[[黄泉比良坂の戦い]]の後、[[神伊弉諾大神]]により、木花姫命と[[日の出神]]は[[伊豆能売神]]に任じられた。<ref>{{rm|10|26|貴の御児}}:「次に木の花姫神、日の出神をして、伊豆能売神に任じ給ひぬ」</ref>
* 木花姫命は、[[五六七大神]]の一部または全部の活動をなす。<ref>{{rm|40|6|仁愛の真相}}:[[照国別]]のセリフ「木花姫の神様も矢張り五六七大神様の一部又は全部の御活動を遊ばすのだよ。又天照大御神と顕現遊ばすこともあり、棚機姫と現はれたり、或は木花咲耶姫と現はれたり、観自在天となつたり、観世音菩薩となつたり、或は[[蚊取別]]、[[蚊々虎]]、[[カール]]、[[丹州]]等と現はれ給ふ事もあり、[[素盞嗚尊]]となる事もあり、神様は申すに及ばず、人間にも獣にも、虫族にも、草木にも変現して万有を済度し給ふのが五六七大神様の御真相だ」</ref>
== 三十三相 ==
木花姫命は人々を救済し、[[ミロクの世]]を建設するため、「三十三相(さんじゅうさんそう)」に身を変じて現れる。そのため霊界物語の中において、女神としての姿だけでなく、人間や動物、邪神など、様々な姿に変じて登場する。 →「[[#エピソード主なエピソード]]」を見よ
「木花姫は、神、顕、幽の三界に出没して、'''三十三相'''に身を現じ、貴賤貧富、老幼男女、禽獣虫魚とも変化し、三界の衆生を救済し、天国を地上に建設するため、天地人、和合の神と現はれたまひ」〔{{rm|6|24|富士鳴戸}}〕。
「木花姫命様は三十三相に身を現じ盗人を改心させようと思へば自分から盗人になつて、一緒に働いて見て「オイ、盗人と云ふものは随分世間の狭いものの怖ろしいものだ。斯んな詮らない事は止めて天下晴れての正業に就かうぢやないか」と云つて、盗人を改心させなさると云ふことだ。酒飲みを改心させるには、自分も一緒に酒を飲み、賭博打を改心させるには自分も賭博打ちになつて、さうして改心させるのが神様の御経綸だ」〔{{rm|21|4|砂利喰}}の[[玉治別]]のセリフ〕
「三十三相」とは、仏教の「三十二相」<ref>仏教で「三十二相」とは、仏が備えている32種類の外見的特徴のこと。<kb>三十二相</kb>、<wp>三十二相八十種好</wp></ref>や「三十三観音」<ref>仏教で、観世音菩薩(観音)は衆生を救うため33種類の姿に変じて現れる。その姿を「三十三観音」と呼ぶ。<kb>三十三観音</kb>、<wp>観音菩薩</wp></ref>から発想した造語だと思われる<ref>{{rm|6|47|仁王と観音}}:「今度は三十三相揃うた大慈大悲の観世音菩薩だ」</ref>。33は。[[33]]は[[瑞の身魂]]を現す数字である。
「三十二相」<ref>{{rm|64b|12|開狂式}}:「三十二相又三相 具備し給へる木の花の」</ref>や「三十四相」<ref>{{rm09|15|0003|総説歌}}:「妙音菩薩の神力と 並びて尊き観自在 三十三相また四相」、{{rm09|19|0003|総説 三十三魂}}:「三十三相の木花の 咲耶の姫の三十四相 具足し玉ふ妙音菩薩」、{{rm|19|17|言霊車}}:「月照彦の肉の宮 言霊開く観自在 三十三相また四相 妙音菩薩の神力を」</ref>と表現されている場合もある。
* {{rm|19|1|高熊山}}:[[上田喜三郎]]が[[松岡神使]]によって初めて[[高熊山]]に連れて行かれた時、[[小幡大明神]]が現れ、「三十五年の昔<ref>明治31年(1898年)旧2月9日(新3月1日)の満35年前は、文久3年(1863年)旧2月9日(新3月27日)に、数えで35年前は、文久4年=元治元年(1864年)になる。元治元年7月19日に起きた「禁門の変」と関係している可能性がある。[[出口恒]]著『[[誰も知らなかった日本史]]』を参照。</ref>より、木の花姫と語らひて、汝が御霊を拝領し、我が氏の子として生れ出でしめたり」と語っている。
* {{rm|34|11|富士咲}}:[[黒姫]]は若い時に男児を産んだが、背中の真ん中に富士山のような形の白い痣があったので、富士山の木花咲耶姫命の生まれ変わりかも知れないと思って「[[富士咲]]」という名を付けた。守り袋に「木花咲耶姫」の御神号と「富士咲」の名を入れた。<ref>{{rm|35|24|歓喜の涙}}にも富士咲の名の由来が書いてある。</ref>
 
木花姫命と明記されていないが、木花姫命的な役割を果たす人物(たいていはその場限りの登場)もいる。また[[鬼武彦]]とその眷属の[[白狐]]が、木花姫命的な役割を果たしている場合もある。
== 大本神諭・伊都能売神諭 ==
{{デフォルトソート:このはなひめのみこと}}
[[Category:霊界物語の人物]]
[[Category:33]]
[[Category:秀逸な記事]]

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