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教学碑

41 バイト追加, 2023年11月24日 (金) 19:00
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この石には表に[[大本教旨]]・[[三大学則]]・[[四大綱領]]・[[四大主義]]の4つが、裏には王仁三郎の歌が刻まれていた。石は破壊されてしまったが、石摺が京都市内の石屋・吉村茂右衛門の蔵に隠されており、戦後大本本部に返納された。その石摺によって昭和28年(1953年)4月18日に教学碑が建立された。また、[[四大主義碑]]が昭和46年(1971年)8月6日に建立された。
なお、[[教旨]]の文言にはいくつかの種類がある。昭和10年4月8日、王仁三郎は教旨の一部を改め、従来は「神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の'''司宰者'''なり '''神人'''合一して茲に無限の'''権力'''を発揮す」だったが、「神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の'''主体'''なり、'''霊体'''合一して茲に無限の'''神力'''を発揮す」に変えた。本宮山の[[教碑]]では「大司宰」になっている。教学碑では「主体」「霊体」「神徳」になっている。現在の大本教団では「主体」「神人」「権力」にしている<ref>大本本部公式サイト内「大本教旨・三大学則」大本本部公式サイト内「[https://oomoto.or.jp/wp/oomotokyoushi/ 大本教旨・三大学則]」</ref>。
〔参考文献:『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5421|本部での動き}}」、「{{obc|B195402c8241|造営}}」〕

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