小松林命

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小松林命(こまつばやしのみこと)とは、上田喜三郎(王仁三郎)に懸かっていた憑霊。喜三郎の守護神。素盞嗚尊の分霊。霊界物語にも登場する。

目次

概要

  • 小松林命は上田喜三郎が宗教活動を開始した初期の頃に懸かっていた神霊で、喜三郎に反抗する当時の大本の役員信者からは、四ツ足の悪神として嫌われていた[1]。しかし実は五六七の大神の系統であることが神島開きの折りに判明した[2]
  • 本教創世記」に「余は常に、この神(注・小松林命)と入魂となり、余が修行中、すなわち十か年間は、小松林の御名を拝借する事を赦されたり」とある。[3]
  • 小松林命は京都の石清水八幡宮(旧称・男山八幡宮)の眷族である。[4]
  • 小松林命は武内宿禰のこと。「本教創世記」に「小松林は八幡宮の高等なる眷属神にして、生前は武士なり。神功皇后の軍に従いて、三韓を征し玉いし英雄なりしなり」とある[5]。『聖師伝』では小松林命は「武内宿禰の神界における神名」と記している。[3]
  • 「後小松天皇は小松林の霊で住吉(神社)の眷族になっていられたのである」〔『新月の光』0331「後小松天皇」〕。後小松天皇は第100代天皇(在位1392~1412年)であり、北朝第6代天皇(在位1382~92年)である。

霊界物語でのエピソード

  • 初出:第1巻第9章雑草の原野#:「そこへ「坤」といふ字のついた、王冠をいただいた女神が、小松林といふ白髪の老人とともに現はれて」
  • 第5巻第24章天の浮橋#:王仁三郎は銀橋の上で、国姫神から「小松林命」という神名を与えられた。「吾は国姫神なり、汝に今より小松林命といふ神名を与へむ」
  • 第37巻には小松林命のエピソードがいくつか出る。主なエピソードは、
    • 第37巻第19章逆襲#:多田琴に小松林命が懸かり、喜楽(喜三郎)に「今まで覚えた霊術を使い壮士役者になれ」と告げる。(その正体は松岡神使だった[6]
    • 第37巻第23章海老坂#:井戸掘りの最中に人足が埋まってしまい、喜楽が助けようとすると、腹の中から「小松林だ」と声が出て、「種油か酢を井戸の中へまけ」と教えてくれた。その通りにすると、埋まった人足は無事に引き上げることが出来た。
  • 第38巻では、大本の役員信者が喜楽を「小松林の四ツ足の悪の守護神」呼ばわりをして排斥するシーンが何度も出る。第38巻第11章思ひ出(二)#第12章思ひ出(三)#第38巻第21章凄い権幕#第22章難症#第27章仇箒#など。

脚注

  1. このことは色々な文献に記されているが、例えば『聖師伝』「20 聖師の苦闘#」:「当時の役員たちは、開祖の筆先の上よりみて、聖師の肉体は神業のために必要なので追い出すことは出来ないが、その肉体にやどっている守護神が、小松林命という四つ足の悪の守護神であるという風にとっていたのですから、聖師に対してさまざまな無礼をしたものであります」
  2. 大本神諭 大正5年旧9月9日#:「五六七神様の霊は皆上島へ落ちて居られて、未申の金神どの、素盞嗚尊と小松林の霊が、五六七神の御霊で、結構な御用がさして在りたぞよ」
  3. 3.0 3.1 「本教創世記」の「第十章 幽斎修業#
  4. 第37巻第9章牛の糞#:(喜楽に懸かった大霜天狗のセリフ)「男山の眷族小松林の命令に依つて」
  5. 「本教創世記」の「第十章 幽斎修業#
  6. 第37巻第19章逆襲#:「俺は松岡ぢや、貴様が新聞の広告を見て、役者になり度相にして居るから、一寸改心の為に嬲つて見たのだ」

関連項目

外部リンク