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天極紫微宮

724 バイト追加, 2020年9月14日 (月) 00:37
紫微宮の一般的意味
== 概要 ==
* 表記ゆれ:'''天国紫微宮'''(てんごくしびきゅう)、'''紫微宮'''、'''紫微の宮'''、'''紫微の宮居'''<ref>{{rm|73|15|国生みの旅}}:「故に天之道立の神は'''紫微の宮居'''に永久に鎮まりて経の教を宣り給ひ、太元顕津男の神は高地秀の宮に鎮まりまして、四方の神々を初めあらゆる国土を湿ほし給ふ御職掌なりける」</ref>* 別名: <ref>使用回数は、天極紫微宮15回、紫微宮16回、天国紫微宮2回、紫微の宮7回、紫微の宮居16回、日の若宮16回、日の稚宮5回、天の若宮3回、天津御空の若宮2回、天の御柱の宮1回、筑紫の宮居13回、天津高宮61回</ref>* 別名:* '''日の若宮'''(ひのわかみや)<ref name="rm4812_1" />、'''日の稚宮'''(ひのわかみや)、'''天の若宮'''(あまのわかみや)、'''天津御空の若宮'''(あまつみそらのわかみや)、(あまつみそらのわかみや)** '''天の御柱の宮'''(あめのみはしらのみや)、(あめのみはしらのみや)** '''[[西の宮]]'''(にしのみや)、'''西の宮居'''<ref>{{rm|73|11|紫微の宮司}}:「天の道立の神は茲に主の神の大神言をもちて、紫天界の'''西の宮居'''の神司となり」</ref>** '''筑紫の宮居'''(つくしのみや)<ref>{{rm|76|1|高宮参拝}}:西の宮(紫微宮)において、[[朝香比女の神]]の歌「西の宮居筑紫の宮居は主の神の 光明も一入つよかりにける」「いざさらば筑紫の宮居を後にして ともに帰らむ[[東の宮]]居へ」</ref> <ref>{{rm09|76|0001|序文}}に「高地秀の宮居に仕へませる八柱の御樋代比女神等が、はろばろと紫微の宮居なる天津高宮に打ち揃ひて参向し、強雄なる二柱の男神を主の神に請ひて派遣を得、再び'''筑紫の宮居'''に帰りまし、報告祭を行ひ給ひけるが」とあるが、報告祭を行ったのは[[高地秀の宮]](東の宮)である〔{{rm|76|2|魔の渓流}}〕。「筑紫の宮居」は「高地秀の宮居」の誤字だと思われる。</ref>** '''天津高宮'''(あまつたかみや)<ref>{{rm09|76|0001|序文}}:「[[高地秀の宮]]居に仕へませる八柱の御樋代比女神等が、はろばろと'''紫微の宮居なる天津高宮'''に打ち揃ひて参向し」</ref> <ref>使用回数は、天極紫微宮15回、紫微宮16回、天国紫微宮2回、紫微の宮7回、紫微の宮居16回、日の若宮16回、日の稚宮5回、天の若宮3回、天津御空の若宮2回、天の御柱の宮1回、筑紫の宮居13回、天津高宮61回{{rm|76|1|高宮参拝}}:「道立の神永久に仕へます '''天津高宮'''の荘厳なるも」</ref>
* 初出:{{rm|2|38|歓天喜地}}(天極紫微宮)、{{rm|4|45|あゝ大変}}(日の若宮)、[[天祥地瑞]]における初出は{{rm|73|3|天之高火男の神}}
* 紫微宮を「[[エルサレムの宮]]」と呼ぶ場合もある。<ref>{{rm|48|12|西王母}}</ref>
== 主なエピソード ==
天極紫微宮が舞台となるのは第48巻第12~13章だけである。[[天祥地瑞]]以外で天極紫微宮が舞台となるのは第48巻第12~13章だけである。
=== 第2巻 ===
広辞苑によると紫微宮は「紫微垣(しびえん)」とか単に「紫微」とも呼ばれ「古代中国の天文学で、北斗星の北にあり、天帝の居所とされた星座。小熊座を主とする星座群を指す。転じて、天子・天位にたとえる」。
* <wp>紫微垣</wp>
日の若宮は、日本書紀には「日の少宮(わかみや)」と表記されている。
== 脚注 ==

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