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大本神諭

1,075 バイト追加, 2024年4月15日 (月)
戦前の刊本
[[出口直]]が[[艮の金神]]の神示を半紙に筆で自動書記したものを「[[筆先]]」と呼ぶ。筆先は平仮名と漢数字だけで書かれており、それを[[王仁三郎]]が解釈して漢字をあてはめて発表したものが「大本神諭」である。<ref>{{rm09|7|0003|総説}}:「教祖の直筆は所謂お筆先であり、そのお筆先を神示に随つて、取捨按配して発表したのが大本神諭である」</ref>
 
霊界物語[[第60巻]]に収録されている神諭は →「[[三五神諭]](おおもとしんゆ)」を見よ
== 呼び方 ==
神霊界で発表された大本神諭は、単行本となり、大正7年(1918年)12月に『大本神諭 第一輯』が、翌8年2月に『大本神諭 第二輯』が刊行された。8年11月にはこの2輯を合わせて『大本神諭 天の巻』として刊行された。計画ではその後『火の巻』『水の巻』『地の巻』の計4巻出す予定だったが、『火の巻』は9年7月28日に出版された後、すぐに当局により発禁処分となり、残りは出版されずに終わった。
大正10年(1921年)[[第一次大本事件]]の後は、新たな教典として[[霊界物語]]の刊行が進められたが、大正12年4月に口述された第60巻第20~25章には大本神諭が「の刊行が進められたが、大正12年4月に記述された第60巻第20~25章には大本神諭が「[[三五神諭]](おおもとしんゆ)」として収録されている。(おおもとしんゆ)」という題名で収録されている。 [[三五神諭]]は[[筆先]]を新たに解釈し直したものであり、使われている言葉や表現に相違がある。 →「[[#大本神諭と三五神諭の相違点]]」を見よ
これは(大正11年に『[[筆先神の国]]を新たに解釈し直したものであり、使われている言葉や表現に相違がある。 →「』に大本神諭が連載されたが、これは大正7年刊『大本神諭 第一輯』収録の神諭をもとにしたもので、それをさらに校訂したものが「三五神諭」である<ref>『~第一輯』には23篇の神諭が収録されているが、[[#大本神諭と三五神諭の相違点三五神諭]]」を見よには明治36年旧正月3日以外の22篇が収録されている。</ref>)
* {{pid|918784|大本神諭 第一輯}}
主な特徴は、
* 新仮名遣いに修正。
* 未発表のもの<ref>王仁三郎が大本神諭として発表していない筆先に編者が漢字を当てはめたもの* 。王仁三郎が大本神諭として発表していない筆先に編者が漢字を当てはめたもの。</ref>も含めて、年月日順に収録。
* [[三五神諭]]を参考にした語句の修正(「改心」を「改信」に修正する等)。
などがある。また、文言がかなり削除されている(時代情勢に配慮したと思われる)。
=== 刊行略年表 ===
* 明治25年(1892年)~大正7年(1918年)、「[[筆先]]」が[[出口直]]に下る。
* 大正6年(1917年)2月以降、『[[神霊界]]』誌上で大本神諭が発表される。
* 大正7年(1918年)12月、『大本神諭 第一輯』が大日本修斎会から発刊。
* 大正8年(1919年)2月、『大本神諭 第二輯』が大日本修斎会から発刊。
* 大正8年(1919年)11月、『大本神諭 天之巻』が大日本修斎会から発刊。(前掲の第一輯と第二輯を合わせたもの)
* 大正9年(1920年)7月、『大本神諭 火之巻』が大日本修斎会から発刊。(8月に発禁処分となる)(水の巻、地の巻も発刊予定だった)
* 大正11年(1922年)、『[[神の国]]』誌上に大本神諭が連載される(『大本神諭 第一輯』をもとにしたもの)。
* 大正12年(1923年)4月、「三五神諭」が記述され[[霊界物語]][[第60巻]]に収録される。(第60巻の発刊は大正14年8月)
* 昭和25年(1950年)8月、『大本神諭 第一巻』が瑞光社から発刊。(全1巻)
* 昭和35年(1960年)6月、『大本神諭 第一集』が天声社から発刊。(全1巻)
* [[筆先]]
* [[伊都能売神諭]]
* [[表の神諭]]
* [[裏の神諭]]
* [[霊界物語]]

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