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大本神諭

15 バイト追加, 2019年3月26日 (火) 11:29
大本神諭の発表
筆先は信者が筆写することはあったが、印刷物にはほとんど掲載されなかった。機関誌『[[直霊軍]]』や『[[このみち]]』に筆先の抜粋が載せられたことはあるが、まとまった形で発表され出したのは『[[神霊界]]』大正6年(1917年)2月号以降である。<ref name="B195401c2142">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2142|神諭の発表}}」</ref>
筆先に漢字を当てることは外国身魂のやり方であるとして旧い役員たちが反対していたが<ref>「昔は、漢字で書いた本を読めばすぐ、外国の悪霊が憑いて居るのであると私を責めた位であるから、周囲に居る人に漢字の読めた人は一人も無い」〔{{kgm|034|厳と瑞}}〕というくらい漢字は拒絶されていた。</ref>、しかし平仮名主体の筆先は多様な解釈が出来るため、そのまま発表すると誤解を招くおそれがあるため、王仁三郎は発表を見合わせていたようである。、しかし平仮名主体の筆先は多様な解釈が出来るので、そのまま発表すると誤解を招くおそれがある。そのため王仁三郎は筆先の発表を見合わせていたようである。<ref name="B195401c2133">『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2133|神島開き}}」</ref>
しかし大正5年(1916年)10月の[[神島開き]]によって、王仁三郎が「みろく様」の霊統であることが明らかにされたため、王仁三郎が筆先を取捨選択したり加筆したり漢字を当てはめたりすることが公然と可能になった。<ref name="B195401c2133" />

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