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出口王仁三郎

24 バイト追加, 2023年11月11日 (土) 02:56
基本情報
** 母:[[上田世祢]](よね)。
** 兄弟姉妹:男5人・女3人の8人兄弟の長子。(ただし2人は成人前に夭折している) →「[[#兄弟姉妹]]」
** 妻:[[出口澄子]](大本開祖・出口直の末子で第五女)(大本開祖・[[出口直]]の末子で第五女)
** 子供:男2人・女6人の計8人。(ただし3人は成人前に夭折している) →「[[#子供]]」
* 王仁三郎は明治31年(1898年)26歳の時、郷里にある高熊山で一週間の霊的修業を行い、自分の救世の使命を自覚し、霊能力を身に付けた。その後、宗教活動を開始する。 →「王仁三郎は明治31年(1898年)26歳の時、郷里にある[[高熊山]]で一週間の霊的修業を行い、自分の救世の使命を自覚し、霊能力を身に付けた。その後、宗教活動を開始する。 →「[[高熊山]]」「[[高熊山修業]]」* 王仁三郎は綾部で明治25年(1892年)に大本を開教していた出口直と出会い、明治32年(1899年)綾部に移住して、大本での活動を開始する。明治33年(1900年)1月、出口直の娘・澄子と結婚。王仁三郎は綾部で明治25年(1892年)に大本を開教していた[[出口直]]と出会い、明治32年(1899年)綾部に移住して、大本での活動を開始する。明治33年(1900年)1月、[[出口直]]の娘・[[澄子]]と結婚。
* 大本は大正10年(1921年)2月と昭和10年(1935年)12月の二度に亘り、当局から弾圧を受ける。これを[[大本事件]]と呼ぶ。二度目の弾圧では6年8ヶ月間も獄中生活を強いられた。 →「[[第一次大本事件]]」「[[第二次大本事件]]」
** 「出口王仁三郎は刑務所暮らしをしていた」等と言われる場合がある<ref>【例】出口京太郎『巨人出口王仁三郎』p437「王仁三郎は一生のうちに何度も投獄のうきめにあい、合わせて七年半も刑務所ぐらしをせねばならないのだ」</ref>が、それは大きな語弊がある。王仁三郎が囚人(既決囚)として刑務所で服役したことは一度もない。刑事被告人(未決囚)として拘置所に収監されただけである。拘置所が刑務所内に併設されていたため、便宜上、王仁三郎は刑務所に入れられた等と表現されるのだと思われる。
* 王仁三郎は大正10年(1921年)10月から霊界物語の著述を開始する。自分は横になって口述し、側近に筆録させるという形で著述が進められた。全81巻83冊。 →「王仁三郎は大正10年(1921年)10月から[[霊界物語]]の著述を開始する。自分は横になって口述し、側近に筆録させるという形で著述が進められた。全81巻83冊。 →「[[霊界物語]]」
** 大本の教典は大本神諭と霊界物語の二つある。大本神諭は、出口直に艮の金神が懸かって書いた「筆先」を元にして王仁三郎が作ったものである。筆先は平仮名と漢数字だけで書いてあり、王仁三郎が筆先に漢字を当てはめて意味づけを行ったものが大本神諭である。
* 王仁三郎は生涯で数十万首の和歌(短歌)を詠んだ。 →「[[和歌]]」

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