「出口王仁三郎」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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'''出口王仁三郎'''(でぐち おにさぶろう、1871~1948)は、世界改造業者。大本教祖、宗教家、霊能者、予言者としても知られている。幼名は上田喜三郎。
 
'''出口王仁三郎'''(でぐち おにさぶろう、1871~1948)は、世界改造業者。大本教祖、宗教家、霊能者、予言者としても知られている。幼名は上田喜三郎。
  
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2019年3月8日 (金) 06:54時点における版

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出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう、1871~1948)は、世界改造業者。大本教祖、宗教家、霊能者、予言者としても知られている。幼名は上田喜三郎。

明治4年(1871年)7月12日生まれ。

昭和23年(1948年)1月19日(旧12月9日)昇天。


出生

明治4年(1871年)7月12日(当時はまだ改暦前。新暦だと8月27日になる)上田家に生まれる。幼名・喜三郎(きさぶろう)。

父は上田吉松(きちまつ)。母は世祢(よね)。

8人兄弟の長男。他の弟妹は次の通り[1]

  • 長男 喜三郎
  • 次男 由松(よしまつ)
  • 三男 幸吉(こうきち)
  • 四男 政一(まさいち)
  • 五男 久太郎(きゅうたろう)…出生後数十日で帰幽。
  • 長女 絹子(きぬこ)…4才で帰幽。
  • 次女 雪子(ゆきこ)
  • 三女 君子(きみこ)


少年青年時代

25歳の頃、斉藤家の養子となり、一人娘と結婚。しかし丁度100日で離縁となる[2]

大地の母6p284「二度も嫁さん持って」 http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138906c06

高熊山修業以降

「王仁三郎」の名の由来

まだ亀岡で幽斎研究を続けていた頃、ひそかに出修に行けという神示が降りた。そこで友人の斎藤だけに話して、母には心配しないように書き置きを残して出かけた。このとき書き置きに、ふと「鬼三郎(きさぶろう)」と署名した。後に綾部に来てからナオの筆先で「おにさぶろう」と命名されので、「王仁三郎」と名乗るようになった。[3]

戸籍上、正式に「出口王仁三郎」になったのは明治43年(1910年)の暮れである。

第一次大本事件以降

第二次大本事件以降

家族

澄子との間に男子2人・女子6人の子ができたが、そのうち男子2人・女子1人は小さい時に帰幽したので、一般的には子は女子5人と思われている。

続柄 名前 生誕日 帰幽日 年齢
長女 直日(なおひ) 明治35年(1902年)3月7日(旧1月28日) 平成2年(1990年)9月23日(旧8月5日) 88歳
二女 梅野(うめの) 明治37年(1904年)5月30日(旧4月16日) 不明
三女 八重野(やえの) 明治42年(1909年)5月1日(旧3月12日) 平成10年(1998年)12月20日(旧11月2日) 89歳
四女 一二三(ひふみ) 明治44年(1911年)8月8日(旧閏6月14日) 昭和2年(1927年)12月21日(旧11月28日) 16歳
長男 六合大(くにひろ) 大正2年(1913年)8月29日(旧7月28日) 大正3年(1914年)4月9日(旧3月14日) およそ7ヶ月
五女(四女) 尚江(ひさえ) 大正4年(1915年)3月5日(旧1月20日) 昭和52年(1977年)7月28日(旧6月13日) 62歳
二男 相生(すけなり) 大正7年(1918年)4月3日(旧2月2日) 大正7年(1918年)8月25日(旧7月19日) およそ5ヶ月
六女(五女) 住之江(すみのえ) 大正7年(1918年)4月3日(旧2月2日) 不明

脚注

  1. 「故郷乃二十八年 〔四〕上田の家庭」による。
  2. 『大本七十年史 上巻』、137頁
  3. 『大本七十年史 上』P156-157

関連項目

外部リンク