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出口王仁三郎の肉声レコード

1,384 バイト追加, 2023年12月4日 (月) 22:01
概要
[[ファイル:蓄音器に吹き込む王仁三郎1922.jpg|thumb|蓄音器に吹き込んでいる王仁三郎。大正11年3月。]]
 
'''出口王仁三郎の肉声レコード'''(でぐちおにさぶろうの にくせいれこーど)とは、[[王仁三郎]]が蓄音器で自分の声を吹き込んだレコードのこと。[[祝詞]]や[[宣伝歌]]・音頭・演説などがあり、大正11年(1922年)と昭和6年(1931年)に録音された。
== 概要 ==
* 大正11年(1922年)3月7日(旧2月9日)、[[王仁三郎]]は[[松雲閣]]で、霊界物語{{rm09|12|0003|総説歌}}及び祝詞等を、蓄音器に吹き込んだ。東京から蓄音器の輸入業者<ref>ウェブサイト「日本蓄音器型録」によると、三光堂は「明治期に隆盛した蓄音器会社。米コロンビア会社から器械を輸入して販売していました」〔[https://chikuonki.jp/maker/sankodo 三光堂一覧]〕。また、ウェイブサイト「78MUSIC」によると、明治43年に設立された「日本蓄音器商会」が大正12年に三光堂を買収し、昭和3年に子会社として「日本コロムビア蓄音器」を設立している〔「http〕。また、ウェイブサイト「78MUSIC」によると、明治43年に設立された「日本蓄音器商会」が大正12年に三光堂を買収し、昭和3年に子会社として「日本コロムビア蓄音器」を設立している〔「[http://78music.jp/hNipponophone.html 日本蓄音器商会・合同蓄音器のあゆみ」〕。日本蓄音器商会・合同蓄音器のあゆみ]」〕。</ref>)・三光堂(さんこうどう)の技師が来て録音した。翌8日も吹き込みを行った。同月31日、製作されたレコードが到着して、五六七殿にて一同拝聴する。<ref name="omnp">「大本年表」による。</ref>
** {{rm|12|8|思出の歌}}(録音した当日に口述)にそのことが次のように詠まれている。「(前略)清く流るる小雲川/常磐の松生ふ川の辺に/聳り立ちたる松雲閣/いよいよ十二の物語/聖き神代の消息を/音無瀬川の川の瀬に/流すが如くすくすくと/滑り出でたる蓄音器/瑞の御魂の開け口/梅を尋ねて鳥が啼く/東の遠き都より/瑞霊輝く三光堂(後略)」。瑞の御魂に因む「三」の光ということで神縁を感じたのではないかと思われる。本巻には「[[三光の宣伝使]]」が登場するが、それも「三光堂」に因んだ可能性がある。
** 吹き込まれた第12巻総説歌は、前日の3月6日(旧2月8日)に王仁三郎自身によって書き記されたものである。また同じく6日から第1章以降の口述が始まっている。
** 第12巻の巻頭口絵には、「蓄音器吹込中の口述者出口聖師」の写真が掲載された。戦後の校定版や愛善世界社版でも同じ写真が第12巻巻頭に掲載されている。
** 録音当日の3月7日(旧2月9日)は新暦だと出口直日の満20歳の誕生日であり、旧暦だと高熊山修業から満24年目の記念日であった。録音当日の3月7日(旧2月9日)は新暦だと出口直日の満20歳の誕生日であり、旧暦だと高熊山修業から満24年目の記念日であった。(文献によっては「高熊山入山満20年記念」と記されているものがあるがそれは間違いである<ref name="man20">「大本年表」には、録音当日の3月7日(旧2月9日)は「高熊山入山満二十年」と記されているが、それは間違いである。高熊山入山は明治31年(1898年)旧2月9日(新3月1日)であり、大正11年(1922年)旧2月9日(新3月7日)は満24年になる。旧2月8日に記された{{rm09|12|0003|総説歌}}には「めぐりめぐりて二十四年」と記され、旧2月9日に口述された{{rm|12|8|思出の歌}}には「花を手折りし今日の日は/二十五年の時津風」(数えで25年、あるいは満25年目に入ったという意味だと思われる)と記されているので、満20年ではない。この日は新暦だと明治35年(1902年)3月7日(旧1月28日)に出口直日が生まれてから満20歳の誕生日であり、旧暦だと高熊山入山の記念日なので、両者が混同して「高熊山入山満二十年」という誤記になったのだと考えられる。には「花を手折りし今日の日は/二十五年の時津風」(数えで25年、あるいは満25年目に入ったという意味だと思われる)と記されているので、満20年ではない。この日は新暦だと明治35年(1902年)3月7日(旧1月28日)に出口直日が生まれてから満20歳の誕生日であり、旧暦だと高熊山入山の記念日なので、両者が混同して「高熊山入山満二十年」という誤記になったのだと考えられる。八幡版霊界物語第2輯口絵p4でも「高熊山ご入山満二十年を記念して」と誤情報が記されている。</ref>* 王仁三郎が祝詞を吹き込んだ意図について[[大国美都雄]]は、信者が祝詞の上げ方(リズム等)がよく分からないため、聖師に模範的なものを出していただこうということでレコードに吹き込むことになった、と述べている。<ref>「聖師の肉体、生言霊発声の特徴 大国美都雄氏に聞く(聞き手 [[出口和明]])」『[[いづとみづ (機関誌)|いづとみづ]]』昭和63年(1988年)9月号、32頁</ref>
* 昭和6年(1931年)6月3日、王仁三郎は亀岡の[[明光社]]にて、音頭の吹き込みを行った。<ref name="omnp" />
* 同6月16日、王仁三郎は大阪の日本コロムビア会社にて、[[花明山節]]の吹き込みを行った。<ref name="omnp" />
== タイトル ==
[[ファイル:レコード広告(真如の光昭和6年7月25日号).jpg|thumb|レコード販売の広告。『[[真如の光]]』昭和6年7月25日号。]]
[[ファイル:レコード広告(真如の光昭和10年9月17日号裏表紙).jpg|thumb|レコード販売の広告。『[[真如の光]]』昭和10年9月17日号。]]
王仁三郎の肉声レコードは次の10タイトル発行されたようである。ただし必ずしも1タイトル1枚ではなく、1タイトルが複数枚になっているものもあるため、総枚数としては十数枚になる。
なお、いずれも基本的には王仁三郎の肉声10タイトルが収録されているが、愛善世界社版だけは「天の数歌」が未収録で、なおかつ「神言」が半分だけ未収録になっている。また、みいづ舎版には[[出口宇知麿]]の肉声が3タイトル、王仁魂版には二代教主・[[出口澄子]]の肉声が1タイトル収録されている。
(以下の各タイトルの時間測定は前後の空白を含む時間だったり含まない時間だったり色々なので数秒の誤差がある)(以下の各タイトルの時間は厳密なものではない。前後の空白を含む時間だったり含まない時間だったり色々なので、実際の音声の時間とは数秒の誤差がある)
=== みいづ舎版 ===
[[ファイル:出口王仁三郎の言霊録.jpg|thumb|100px|『出口王仁三郎の言霊録』]]
 
『出口王仁三郎の言霊録』
* 発行元:[[みいづ舎]]
=== 愛善世界社版 ===
『出口王仁三郎聖師御声 祝詞・思出の歌・音頭みろく踊り他』[[ファイル:出口王仁三郎神言CDのパッケージ.jpg|thumb|100px|『出口王仁三郎神言CD』]]『出口王仁三郎聖師御声』(カセットテープ版) 『出口王仁三郎神言CD』
* 発行元:[[愛善世界社]]
* [https://www.omt.gr.jp/o421 販売ページ]
=== 王仁魂復活プロジェクト版 ===
[[ファイル:出口王仁三郎実声言霊集パッケージ.jpg|thumb|100px|『出口王仁三郎実声言霊集 王仁魂復活』]]
 
『出口王仁三郎実声言霊集 王仁魂復活』
* 発行元:[[王仁魂復活プロジェクト]]
=== 八幡書店版 ===
[[ファイル:出口王仁三郎言霊大祓祝詞CDブックの表紙.jpg|thumb|100px|『[[出口王仁三郎 言霊大祓祝詞 CDブック]]』]]
 
『出口王仁三郎言霊大祓祝詞CDブック』
* 発行元:[[八幡書店]]
ピッチについてはっきりとは書いていないが、結果的に他社版(78回転で復刻していると思われる)より遅くなったので、王仁三郎の声のトーンが少し低くなった。
解析してみると、ピッチは約10%遅くなっており、トーンは半音と全音の中間くらい(全音を1音とすると0.8音くらい)低くなっている。 →「8音くらい)低くなっている。→「[[トーク:トーンの解析出口王仁三郎の肉声レコード]]」
== 資料 ==
{{デフォルトソート:てくちおにさふろうのにくせいれこおと}}
[[Category:音声・映像]]
[[Category:出口王仁三郎|れこおと]][[Category:秀逸な記事]]

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