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六角切り子

1,041 バイト追加, 2022年3月8日 (火) 03:13
外部リンク
大石凝は「天地茁廴貫きの極典」<ref>『[[大石凝真素美全集]] 第一巻』収録</ref>の中で六角切り子を「正方角体六合八角切り」(正方角体=立方体の八つの角を切り落とした意)とも呼んでいる。
 
水谷清はこの形状を、お盆に使う「切籠燈籠(きりこどうろう)」のようなもの、と表現している。<ref>『古事記大講 第十四巻』p79「十四面体は正方面六個三角面八個の盆の切籠燈籠の如きもの」</ref>
=== 十八稜十四面体 ===
六角切り子は「十八稜十四面体」とも呼ばれている。「稜」とは面と面が接する「辺」のことだと思われるが、14面体の辺の数は24である(頂点の数は12)。六角切り子は「十八稜十四面体」とも呼ばれているが、なぜ「十八稜」と呼ばれているのかはっきりしない。 「稜」とは辺または頂点のことだと思われるが<ref>広辞苑によると「稜」の意味は「物のかど。すみ」や「多面体の相隣る二つの面の交わりの線分。辺」。</ref> <ref>水谷は『古事記大講 第十四巻』p79で「球の上下左右の六面を削り去り、正方六面体と為し、更に其六面体の四錐形に成ってゐる四つの稜角をも削り去れば、十八稜十四面体(略)を得るのである」と書いており、角(頂点)を「稜」と呼んでいるように感じる。</ref>、14面体の辺の数は24、頂点の数は12である。
なぜ「十八稜」と呼ばれているのかは不明である。六角切り子の展開図における上下の四角形には3つの方角への活用が記されているため、それをそれぞれ3つと数えるのならば、18となる(12方角+6=18)。
== 概要 ==
大石凝は六角切り子と天津神算木が同じものであることを示したが、具体的にどのような関係があるのかは言及していない。
[[水谷清]]は「[[天津祝詞学]]」の中で、大石凝の六角切り子を使った七十五声の言霊活用を紹介しており<ref>[[水谷清]]『[[古事記大講]] 第十四巻』p111 第十四巻(天津祝詞学綱要上巻)』p111-186</ref>、その後で、天津金木<ref>大石凝は「神算木」という文字を、水谷は「金木」という文字を使っている。</ref>を用いて14面の意義を具体的に説明している<ref>『古事記大講 第十四巻』p187-190</ref>。しかし大石凝が「天地茁廴貫きの極典」で示した8方位の配置とは異なり、12方位を配置している。
まず6つの正方形の面を天地東南西北に配する。これは天津金木の6つの面に該当する。色はそれぞれ白黒赤黄緑青となる。次に8つの三角形は、東南西北4方位のそれぞれの中間に位置し、上側と下側の2つずつ4組ある。それを、上側を東南、下側を南東というように配して行くのである。これによって12方位を得る。天地を合わせて14方位=14面となる。
安閑争危の4つの象は「球内に潜在して、表面には現はれない」<ref>『古事記大講 第十四巻』p190</ref>。
このような方位の各面への割り当ては、大石凝の割り当て方とはまるで異なる。水谷は「天津祝詞学」の中で、研究の結果、大石凝の説とは「異なる部分が非常に多くなった」と述べている。このような方位の各面への割り当ては、大石凝の割り当て方とはまるで異なる。水谷は「天津祝詞学」の中で、言霊を研究した結果、大石凝の説とは「異なる部分が非常に多くなった」と述べている。<ref>水谷清『古事記大講 第14巻(天津祝詞学綱要上巻)』p4「大石礙先師の説を尊重し、其の方式を祖述することは、我等の当然の任務ではあるけれども、先師の説に対しても、我等は飽まで厳正なる批判的態度を執り、取捨を自由にする事が、斯学を向上せしむる所以たるを信じ、独自の立場に立って研究した結果、先師の説とは全然異なる部分が非常に多くなった事は、余儀ない事と存じてゐる次第である。先師亦以て余の態度を寛容される事と信ずるものである」『古事記大講 第十四巻』p4「大石礙先師の説を尊重し、其の方式を祖述することは、我等の当然の任務ではあるけれども、先師の説に対しても、我等は飽まで厳正なる批判的態度を執り、取捨を自由にする事が、斯学を向上せしむる所以たるを信じ、独自の立場に立って研究した結果、先師の説とは全然異なる部分が非常に多くなった事は、余儀ない事と存じてゐる次第である。先師亦以て余の態度を寛容される事と信ずるものである」</ref>
== 脚注 ==
{{デフォルトソート:ろつかくきりこ}}
[[Category:言霊学]]
[[Category:秀逸な記事]]

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