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上田吉松

263 バイト追加, 2023年9月22日 (金) 00:46
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'''上田吉松'''(うえだ きちまつ)は、
'''(1) ''' [[出口王仁三郎]]の祖父。妻は[[宇能]]。
明治4年(1871年)12月27日(新暦1872年2月5日)に59歳<ref>『明治4年(1871年)12月27日(新暦1872年2月5日)に帰幽した。この帰幽日について異説がある。 →「[[神霊界#祖父・吉松の帰幽日]]』大正10年(1921年)2月1日号p.37上9行目「祖父は五十九才で帰幽し」</ref>で帰幽した。この帰幽日について異なる解釈がある。「[[故郷乃弐拾八年]]」には「祖父の吉松は、明治四年の冬十二月廿七日に帰幽した。王仁(わたし)が誕生後六ケ月目である」と記されている<ref>同p.39</ref>。ここより前の方に(父母は)「明治四年七月十二日を以て一子を挙げた」<ref>同p.37</ref>とあるので、旧暦だと考えられる(新暦は明治6年以降)。旧12月27日は新の2月5日に該当する。しかし「大本年表」では12月27日を新暦だと解釈し、旧暦11月16日と記している<ref>「12・27(11・16)」</ref>。新暦だとすると王仁三郎が生まれた新8月27日(旧7月12日)から新12月27日までちょうど4ヶ月であり、「誕生後六ケ月目」という記述は違和感がある。旧暦なら旧7月12日から旧12月27日まで5ヶ月と15ヶ日であり、「誕生後六ケ月目」という記述でおかしくない。12月27日は旧暦と考えるのが妥当である。 (2) [[出口王仁三郎]]の父。旧名・佐野梅吉(さの うめきち)。先代・吉松の養子となり、[[世祢]]と結婚した。
'''(2)''' [[出口王仁三郎]]の父。旧名・佐野梅吉(さの うめきち)。先代・吉松の養子となり、[[世祢]]と結婚した。
== 「吉松」の読み方 ==
* 『[[大地の母]]』では「きちまつ」。<ref>『[[大地の母]]』みいづ舎版第1巻「深山の草」p.8「宇能は夫吉松(きちまつ)と」</ref>
* 『[[大本七十年史]]』ではフリガナが無い。<ref>「吉松」の初出は『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1311|出生}}」p.107</ref>
 
== 祖父・吉松の帰幽日 ==
 
出口王仁三郎の祖父・上田吉松は、明治4年(1871年)12月27日(新暦1872年2月5日)に59歳<ref>『[[神霊界]]』大正10年(1921年)2月1日号p.37上9行目「祖父は五十九才で帰幽し」</ref>で帰幽した。この帰幽日について異なる解釈がある。「[[故郷乃弐拾八年]]」には「祖父の吉松は、明治四年の冬十二月廿七日に帰幽した。王仁(わたし)が誕生後六ケ月目である」と記されている<ref>同p.39</ref>。ここより前の方に(父母は)「明治四年七月十二日を以て一子を挙げた」<ref>同p.37</ref>とあるので、旧暦だと考えられる(新暦は明治6年以降)。旧12月27日は新の2月5日に該当する。しかし「大本年表」では12月27日を新暦だと解釈し、旧暦11月16日と記している<ref>「12・27(11・16)」</ref>。新暦だとすると王仁三郎が生まれた新8月27日(旧7月12日)から新12月27日までちょうど4ヶ月であり、「誕生後六ケ月目」という記述は違和感がある。旧暦なら旧7月12日から旧12月27日まで5ヶ月と15ヶ日であり、「誕生後六ケ月目」という記述でおかしくない。12月27日は旧暦と考えるのが妥当である。
== 脚注 ==

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