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ヒマラヤ山

551 バイト追加, 2020年3月11日 (水) 20:40
主なエピソード
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== 概要 ==
* 玉の色:銀色
* [[八王神]]:[[高山彦]]
* [[八頭神]]:[[ヒマラヤ彦]] (妻)[[ヒマラヤ姫]]
 
= 概要 ==
 
* 初出:{{rm|1|45|黄玉の行衛}}
* 古代の富士山は高さが6万尺(約1万8千メートル)もあり、ヒマラヤ山の高さはその2分の1にも及ばなかった。<ref>{{rm|37|1|富士山}}</ref>
* 地教山の西南麓に「[[カルマタ国]]」がある。<ref>{{rm|40|16|春駒}}:春公のセリフ「月の国のカルマタ国とか云つて、地教山の西南麓の可なり広い国の都へ(ウラル教の)神館が移つたさうで厶います。そしてウラル彦様の子孫たる常暗彦様が教主となつて、再び昔日の勢をもり返してゐられるといふ事で厶います」、{{rm|41|14|慈訓}}:竜雲のセリフ「カルマタ国は東北に地教山を控へ、地教山には三五教の神柱が誠の道を守つて附近の人民を教養して居られる。そこへウラル教の常暗彦が現はれて本拠を構へ、間隙あれば地教山を併呑せむと企んでゐる」</ref>
 
== 主なエピソード ==
# {{rm|5|25|姫神の宣示}}~{{rms|5|28|地教山の垂示}}
# {{rm|15|12|一人旅}}
の4回ある。の4回ある。他に細かいエピソードもある。
* 【{{rm|1|45|黄玉の行衛}}】 [[黄金水の十二個の玉]]のうち、九個までが邪神に奪われてしまった。黄金の玉を保管する[[時彦]]は邪神から玉を守るために、ヒマラヤ山に立て籠もり時節を待った。数年経ち、山の下で[[大八州彦命]]を始め数多の神司が[[デカタン高原]]に向かって行進しているのが見えた。山上からこれを見渡すと、十二個の神輿を神司が担いで進んでいる。時彦はいよいよ時節が到来したと思い、慌てて黄金の玉を持って行列に加わる。デカタン高原で玉を大八州彦命に献上するが、それは実は邪神が化けた偽の大八州彦命で、まんまと玉を奪われてしまった。
* [[国祖隠退]]後は、[[常世神王]]と[[盤古神王]]は東西に分かれ、日夜権力闘争に明け暮れていた。その状況を陰から窺った国祖[[国治立大神]]は[[野立彦命]]と変名して[[天教山]]に現われ、また[[豊国姫命]]は[[野立姫命]]と変名してヒマラヤ山に現われた。ヒマラヤ山は東西の神王の管下を離れ、やや独立を保っていた。<ref>{{rm|5|17|勢力二分}}</ref>
* [[大洪水]]の時、[[顕恩郷]]の神人らは一柱も残らず333艘の[[方舟]]に搭乗してヒマラヤ山に難を避け、二度目の人間の祖となった。<ref>{{rm|5|22|神示の方舟}}</ref>
* 【{{rm|5|25|姫神の宣示}}~{{rms|5|28|地教山の垂示}}】 [[木花姫命]]の宣示を奉じ、[[天道別命]]や[[月照彦神]]らの諸神はヒマラヤ山に降下した。ヒマラヤ山では数多の神人が夜を日についで山の八合目以下の木を伐採し大杭を数多造り地中に盛んに打ち込んでいた。山頂でらの諸神は天の浮橋の銀橋に乗ってヒマラヤ山に降下した<ref>このエピソードが「銀橋山」の名の由来か?</ref>。ヒマラヤ山では数多の神人が夜を日についで山の八合目以下の木を伐採し大杭を数多造り地中に盛んに打ち込んでいた。山頂で[[野立姫命]]の代理として[[高照姫神]]が、大竹の片割に垂訓を書き記して[[天道別命]]らに手渡す。それを背にくくりつけ、諸方を宣伝の旅に出ることになった([[言触神]]=[[宣伝神]])。山麓ではヒマラヤ彦の部下たちが酒に酔い躍り狂いながら[[ウラル教]]の宣伝歌を歌っていた。[[祝部神]]はこれに負けじと[[三五教]]の宣伝歌を大声で歌う。空から荘厳な声で──ヒマラヤ山は今まで[[ヒマラヤ彦]]の管轄だったが、[[高山彦]]の専管に神定められた、これからは地教山と称するべし──と聞こえて来る。この声にヒマラヤ彦の部下たちはこの声に驚いて改心した。の専管に神定められた、これからは地教山と称するべし──と聞こえて来る。この声にヒマラヤ彦の部下たちはこの声に驚いて改心した。(注・もともと高山彦が八王神で、ヒマラヤ彦が八頭神なのに、ヒマラヤ彦から高山彦に管轄が変わったという意味が分からない<ref>{{rm|5|28|地教山の垂示}}:「ヒマラヤ山は今まで、ヒマラヤ彦、ヒマラヤ姫の管轄なりしも、今は高山彦、高山姫の専管することと神定められたり」</ref>)
* 大洪水後の修理固成で[[伊邪那岐命]]は、[[ヒマラヤ彦]]を地教山(ヒマラヤ山)の国魂に、[[ヒマラヤ姫]]を輔佐に任じる。<ref>{{rm|6|27|神生み}}</ref>
* [[豊の国]]の大酋長・[[高照彦]](国治立命の御子)のセリフ「世は段々と立替り世界は大洪水に浸され、その時吾は[[方舟]]を作つて、ヒマラヤ山に舞ひ戻り、目も届かぬ大沙漠を拓いて、やうやう今日まで過してきた」<ref>{{rm|7|41|枯木の花}}</ref>
== ヒマラヤ山と比叡山 ==
新月の光0234「霊界物語の地名」によると、ヒマラヤ山は『[[新月の光]]』によると、ヒマラヤ山は[[比叡山]]に相応するとされる。に相応する。<ref>新月の光0234「霊界物語の地名」</ref>
現実のヒマラヤと比叡山の共通点はどちらも宗教のセンターになっていることである。ヒマラヤには仏教やイスラム教、ヒンズー教、ジャイナ教、シーク教などの施設が多数あり、南アジアの宗教のセンターになっている。また比叡山延暦寺は日本仏教の諸宗祖を輩出しており、当時の日本の宗教センターであった。

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