21,339
回編集
差分
Jump to navigation
Jump to search
賀露
,編集の要約なし
[[ファイル:賀露村の位置図.jpg|thumb|昭和12年に鳥取市に合併される前の賀露村の位置。]]
'''賀露'''(かろ)は、鳥取県の[[千代川]](せんだいがわ)の河口西側の地名。[[霊界物語]]に「'''加露ケ浜'''(かろがはま)」が登場する。また昭和42年に'''賀露神社'''境内に[[出口王仁三郎]]の歌碑が建立された。
== 概要 ==
結局7月6日から8日まで三日間逗留したが、天気が回復しないためコースを陸路に変更し、10里ほど歩き、鳥取県東伯郡橋津村(現・湯梨浜町橋津)から舟に乗って三保の関へ向かった。〔以上{{rm|38|28|金明水}}、『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c1622|出雲の火のご用}}」〕
霊界物語には記されていないが『[[大地の母]]』では、出口直・王仁三郎一行は[[賀露神社]]に参拝している』では、出口直・王仁三郎一行は賀露神社に参拝している<ref>みいづ舎版『[[大地の母]] 第7巻』「朝陽の夢」162頁〈午後三時頃、幸吉の先導で賀露神社(祭神・木の花咲耶姫)に参拝。潮風にさらされた、枝ぶりのおもしろい松林の境内を逍遥した〉</ref>。
一行は出雲大社に参拝し終わり、帰途は賀露は経由せず、はるか東方の浦富<ref>{{rm|38|28|金明水}}に〈岩井の磯ばた〉と書いてあるが、浦富だと思われる。大地の母では〈十六日朝、浦富海岸に上陸した〉としている。</ref>から上陸している。
== 王仁三郎の歌碑 出口王仁三郎の歌碑 ==昭和42年(1967年)7月6日、昭和42年(1967年)7月6日、賀露神社境内に[[賀露神社出口王仁三郎]]境内に王仁三郎の歌碑(史蹟歌碑とか加露ヶ浜歌碑と呼ばれる)が建立された。縦1m40cm、横2m30cmの青御影石の歌碑('''史蹟歌碑'''とか'''加露ヶ浜歌碑'''と呼ばれる)が建立された。縦1m40cm、横2m30cmの青御影石<ref>『[[大本教学]]』第7号収録「出口王仁三郎聖師歌碑集録(木庭次守・記)」(昭和45年2月現在の情報)</ref>。
歌は〈海鳥《うみどり》の声かしましく賀露ケ浜のあしたになきて波の音《おと》高し〉。
賀露ヶ浜大本史蹟碑建立有志}}
== 賀露神社 ==
== ギャラリー ==
<gallery>