大本愛善苑
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大本愛善苑(おおもとあいぜんえん)は、大本が昭和24年(1949年)10月29日から昭和27年(1952年)3月31日まで使っていた大本の教団名。
昭和21年(1946年)2月7日に大本は「愛善苑」として新発足したが、やがて会則が実情にそぐわないものとなり、昭和24年の中頃から全面的な改正案を作り出した。
同年10月28日~29日に開かれた第11回臨時審議会で改正案が可決され、29日(旧9月8日)に「大本愛善苑教団規則」として実施されることになった。
その主な改正点は、
- 名称を「愛善苑」から「大本愛善苑」に改める。
- 奉斎主神を「おほもとすめおほかみ」と明示する。
- 教団の主管者(宗政面の責任者)の名称を「会長」から「総長」に改める。[1]
等である。
教団名が「大本愛善苑」に改称された理由はおおむね二つある。
- 二代苑主・出口澄子が「大本」の名を用いることを要望した。
- 人類愛善会を再び発足させることになり、「愛善苑」と「人類愛善会」の二本立ての体制になった。(似たような名称ではなく、はっきり区別させる必要があった)
この改称について、同年12月9日の支部長会議で、出口伊佐男・総長は、「愛善苑が旧大本に復したという意味ではなく、大本に根ざして新発足した愛善苑が成長して、名実ともに新しい段階に進み発展して来たことを意味する」と説明している。
昭和26年(1951年)4月に宗教法人法が制定されると、宗教法人「大本」への気運が盛り上がり、昭和27年(1952年)4月1日(旧3月7日)から「大本」に名称変更することになった。
「大本」への改称は、三代・出口直日のたっての要望であったという。[2]
脚注
参考文献
- 『大本七十年史 下巻』、837頁~838頁・840頁~841頁